まにまにころころ[116]ざっくり日本の歴史(後編その31)勝海舟:世の中に無神経ほど強いものはない
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。さて、幕末の人物紹介も大詰め、たぶん。今日は勝海舟をご紹介したいと思います。今ごろやっと出てくるのかってくらいの主要キャラ。

やー、なんとなく取っつきにくくて、この御仁。咸臨丸に乗ってアメリカまで行ったり、幕府の人間なのに、坂本龍馬や西郷隆盛に影響与えたり、西郷さんとの会談で江戸城無血開城にこぎ着けたり、維新後もそこそこ長生きしたり。






◎──才能を磨いた青少年期

1823年、江戸生まれ。家系はちょっと複雑で、貧農出身で盲人だった曾祖父が、財をなして御家人である男谷(おだに)家の家名を三男に買い与え、さらにその末っ子である三男が勝海舟の父、小吉。

小吉は小さいながらも旗本である勝家に養子に出されて、その子が勝海舟。生誕は父の実家、男谷家で、そこで幼少時は暮らしていました。

縁故で徳川家斉の孫の遊び相手として、江戸城に出入りしたりしていたものの、その相手が早逝したため、そのルートでの出世コースは振り出しに戻る。

父の著書によると、海舟は9歳の頃に犬に急所を噛まれて生死の境をさまよい、以後、大の犬恐怖症になったそうです。

それはそれとして、何かと人脈豊富な縁続きで、少年期から青年期にかけて、兵学、蘭学、教養と、一流どころに学んでどんどん身につけていきます。

剣術の縁にも恵まれていて、従兄弟にあたる男谷信友、その弟子の島田虎之助の道場で剣を習います。幕末の三剣士と謳われた三人のうち二人が先生という、ラッキーな環境で、直心影流の免許皆伝にまで腕を磨きます。

蘭学を学んでいた縁で佐久間象山とも知己を得て、西洋兵学も学びます。この蘭学を勉強していた時代の有名なエピソードとして、借りたオランダ語の辞書を二部書き写して、一冊を売って勉強費用の足しにしました。お金にはあまり恵まれてなかったようですが、そんなことでめげません。

27歳くらいの時には、象山の勧めもあって、蘭学と兵学の私塾を開いています。1850年のことです。ペリーがやって来る三年前ですね。

また象山には、妹を嫁がせています。「海舟」という号も、象山が「海舟書屋」と書いて、掲げていたものから取ったものです。海舟の語録をまとめたという「氷川清話」の中に、象山をけなすような一節もあるそうですが、どう考えても好意的だったと思います。


◎──ペリーがやって来て道が開ける

1853年、黒船の来航を受けて幕府は広く海防についての意見を募集し、それに応募した海舟の意見が老中・阿部正弘の目に止まったのを機に、幕府の役人に取り立てられます。1855年、サクセスストーリーの始まりです。

いくつかの仕事を経て、オランダ軍人から蘭学や兵学と共に航海術を学ぶ施設、長崎海軍伝習所に、蘭学の知識を活かし通訳や監督係も兼ねて入ることになり、なんだかんだで四、五年ほどを長崎で過ごすことになります。船酔いはするし、航海術は苦手だしってことで、もっと早くに帰りたかったみたいですけどね。

1859年、江戸に戻って、軍艦操練所教授方頭取に命じられ、そこで教鞭を執ります。江戸に戻ったのは、遣米使節の派遣予定を聞いて、それに志願したから。1860年、アメリカ海軍のポーハタン号で遣米使節が渡米する際に、その護衛艦として、海舟の乗る咸臨丸が随行しました。

咸臨丸は木村喜毅が軍艦奉行として筆頭で、海舟は実務のトップという感じか、軍艦操練所教授方頭取として乗船。航海のサポートに米海軍のブルックが乗船。木村の従者として福沢諭吉、通訳としてジョン万次郎も乗っています。

福沢諭吉と勝海舟はなんか、そりが合わなかったみたいですけど。木村と海舟の対立もきっかけだと思いますが、その後もずっと仲悪かったみたいです。


◎──上手くいかなかった時代を経て、無血開城まで

海舟は帰国後、昇進するも異動先が気に入らなかったらしく、やる気を失い、しばらくはふてくされた日々を過ごします。ですが、そのタイミングで起きた幕政改革で海舟に縁深い面子が台頭し、海舟もそれに乗っかって海軍職に復帰。対立していた木村の海防案を退けて、横井小楠たちと練った人材登用論を展開します。

海舟はマメに日記をつけていて残っているのですが、木村のことは日記に書くのも嫌だったのか、その辺りのことは触れられていないそうです。(笑)

広く諸侯とも手を組んでの人材育成、海防強化を推し進めていこうとしていた海舟ですが、政変だなんだで協力相手を失ったりして頓挫。海舟に逆風が吹く1864年、佐久間象山が暗殺されたり禁門の変が起こったりする激動の最中で、海舟は軍艦奉行を罷免され、蟄居生活を送ることになります。

薩摩と以前から付き合いのあった海舟が、西郷さんに会ったのもこの年。罷免の少し前。西郷さんは大久保利通宛の書状で、海舟のことを絶賛しています。

二年の蟄居を経て1866年、軍艦奉行に復帰。幕府、長州、薩摩あたりのきな臭い現場に引っ張り出されて、調停だなんだとややこしい仕事が回ってきて苦労するものの、思うように行かず「あー、もうやってらんねえ!」と辞職願を出して江戸に帰ります。辞職願は却下されたそうですけど。

その二年後、戊辰戦争が始まって、薩長の官軍が東へと進んでくるにあたって、そんな現場を任せられるのは海舟しかいないということで現場復帰を命じられ、あれよあれよと巻き込まれながら面倒なことを処理させられ、江戸城無血開城の交渉に至ります。

場所は駿府城。交渉相手は西郷さん。なだめすかしたり、脅したり、硬軟織り交ぜた交渉の末、無事に話をまとめました。

もちろんその後も、官軍サイドとあれこれの調整に奔走、幕府サイドも牽制し、何かと苦労したみたいです。榎本武揚の動きや奥羽越列藩同盟の動きなんかも、海舟は反対だったみたいです。勝てっこないと分かってたんでしょう。


◎──明治時代と最期

明治を迎え海舟は諱を安芳(やすよし)と改名しています。安房守だったので、安房守の安房(あわ)を「あんほう」と音読みして、「ほう」を「芳」にして、安芳。読みは訓読みで、やすよし。本人は「アホウとも読める」と。

維新後、旧幕府の要人だった海舟は、新政府でも高いポストを用意されて歴任。歴任、というか、気乗りしなくて何度も辞退しつつ転々とします。

ただ、海軍関係の仕事はやっぱ前向きだったようで、人材登用を行いながら発展の道筋をつけていきます。それ以外の面では、旧幕臣のケアに手を尽くし、資金援助や、就労の斡旋、生活保護などに努めています。

1877年の西南戦争の後は、西郷さんの名誉回復にも尽力しています。

1892年、嫡男の小鹿(ころく)が39歳で急逝。小鹿には男子がいなかったが、海舟は維新前後のことから確執があった徳川慶喜に、十男の精(くわし)を、孫娘の婿として養子にくれるよう相談して、受け入れられます。

その後、晩年にかけては執筆活動に勤しんで、最期は1899年、脳溢血でした。冬の風呂上がり、便所に行って出たところで倒れ、女中に生姜湯を持ってくるよう頼んだものの、今から作っていては間に合わないとブランデーを渡され、それを飲んでほどなく意識を失い、そのままこの世を去りました。

最期の言葉は、「コレデオシマイ」だったそうです。76歳でした。

海舟の死後、約束通り徳川慶喜の家から精が、小鹿の娘の婿として養子に来て、勝家の家督を継ぎました。


◎──好き嫌いの分かれる勝海舟

海舟に対しては、好き嫌いが分かれる、というか、嫌いな人も多いようです。生前から敵も多く、本人も「敵は多ければ多いほど面白い」と言っています。

「世の中に無神経ほど強いものはない」とも言っていて、その辺り、性格的に敵を作りやすかったのかなと。役回りというか立ち位置的にも、口八丁で世を渡ってきたところがあって、それもアンチを生む一因だったのかもしれません。

一方で信者も多く、その弁舌に丸め込まれた人は熱烈なファンになるようです。坂本龍馬とか。


◎──今回はここまで

ということで、わりと淡々とした感じになってしまいましたが、勝海舟でした。私はどちらかと言えば、好きなタイプです。派手な爽快さはありませんけども、その調整力だとか巻き込み力にあやかりたい。好きというか、才能が羨ましい。そんな人です。友達にはなりたくないですが。(笑)

次回はたぶん、坂本龍馬の話を。それであらかた幕末のメインキャストは紹介し終えるんじゃないでしょうか。誰か忘れてるかな。細かく言えばいますけど、ざっくりこんなもんじゃないかなと。中学校の教科書にも出てきそうな人は。

「あの人まだだよ!」ってのがあれば、ご連絡ください。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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