コロこと川合です。前回「ざっくり日本の歴史」を半ば強引に終了させたら、最後のまとめ回をまぐまぐさんがまた取り上げてくださって、思った以上に、あちこちでシェアされまして……叩かれないかドキドキしました。(笑)
まあ幸い、軽く批判された程度で済んでほっとしています。
さて今回から何を書こうかと悩んでるうちに二週間が過ぎて、前回の最後に、『武教七書』とか『四書五経』とか、あるいは儒教関係の書物とか、日本史に影響を与えた中国の古典や思想を取り上げてみようかなと書いた時点から、結局それ以上何も思いつかなかったので、そのまま進めて行きます。
『武教七書』にするか『四書五経』にするか。諸子百家なんてくくりも面白いかもしれないなと悩んだ結果、その辺りを中心に「なんでもあり」でいこうと思います。
題して「ふんわり中国の古典」。深い研究はスルーしつつ、そこに書かれていることだけを、なんとなく雰囲気重視で一緒に読んでいきましょう。訳は色んな本を参考にしつつ、だいたいで。
きちんと読みたい方は、きちんとした本を読めばいいじゃないですか。(笑)そのきっかけにでもなれたらな、くらいの軽い気持ちで進めたいと思います。
◎──ざっくり中国の歴史(先史時代〜神話伝説時代)
まずは中国の歴史から。
紀元前5千年だ7千年だの長江文明や黄河文明といった、先史時代はパスします。よくわからない神話伝説時代の三皇五帝もパスします。
三皇五帝というのは、中国の神話伝説上の八人の為政者のことで、三皇が誰で、五帝が誰で、というのは諸説あります。
その諸説の中に含まれたり、含まれなかったりはするのですが、尭(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)の三人は、儒教の話なんかでもよく出てくるので、伝説上の立派な為政者だったと覚えておいてください。
◎──ざっくり中国の歴史(夏〜周:紀元前2000年くらいから紀元前256年)
夏(か)は、中国最古の王朝です。実在したかどうか怪しかったので、最古の王朝は殷(いん)だと習った人もいると思いますが、その前の王朝が夏です。
伝説上の王朝扱いでしたが、最近は、実在したとされています。夏の建国者は、さっき出てきた禹です。なんかもう既に伝説とごっちゃになってきそうですが、この辺は難しいところで。
調査の結果、どうも殷に先立つ王朝があったことは確からしいと。で、殷に先立って夏という王朝があったという伝説が、残されていると。
そんなこんなで、伝説と実際の話が混じり合ってそうな時代の話です。禹から桀(けつ)まで17代、471年続いたそうです。
桀は暴君で、女に溺れ、肉山脯林(にくざんほりん)と呼ばれる贅沢な酒宴を催し、離反した諸侯のひとり、殷の天乙(てんいつ・湯王)に追放されます。
夏に変わって起こった殷ですが、その殷も湯(とう)から数えて30代、帝辛(ていしん・紂王)が女に溺れて、酒池肉林(しゅちにくりん)と呼ばれる贅沢な酒宴を催す暴君で、周の姫発(きはつ・武王)に倒されます。
桀と紂、同じパターンですよね。たまたま同じような暴君が現れたんじゃなく、暴君のテンプレートとしてそういうものがあって、だから倒したんだよ、って理由付けに使ったんだろうと思います。
桀は殷の湯を呼び出して幽閉したり、紂は周の姫昌(きしょう・文王)を幽閉して、姫昌の長男を殺して食べさせたりしています。これなども同じパターンですね。
周が殷を倒すあたりの話を描いた物語が『封神演義』で、周の武王を補佐したのが、太公望として知られる呂尚です。
夏、殷、周、どれも中国全土を統一していたわけではなく、この時代、各地に都市国家が群立していて、それらのトップとして夏や殷、周があったんです。なので、夏の時代にも諸侯として殷があり、殷の時代にも周はありました。
周も10代目あたりから著しく衰退、12代の幽王が殺され、続く平王が東の洛邑へと遷都した時から、春秋戦国時代と呼ばれる時代に突入します。各都市国家が覇を競う時代です。この春秋戦国時代に、「諸子百家」と呼ばれる思想家が次々と現れました。
「諸子百家と呼ばれる思想家が次々と」とは順番が逆ですね。いっぱい出てきて、後にまとめて諸子百家と呼ばれました。
「諸子」が、孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子など。「百家」が、儒家、道家、墨家、名家、法家、兵家など、学派を指す言葉。
今回からしばらくは、兵家の代表格、孫子(孫武)を取り上げます。
◎──『孫子(そんし)』
書名も孫子と呼ばれ、書いた孫武も孫子と呼ばれ、ややこしいのですが、まあ前後からどっちのことかは判断してください。
『孫子』は、紀元前500年くらいに孫武(そんぶ)によって書かれた兵法書です。孫子の兵法はビジネスにも応用できる、なんて感じでビジネス書としても孫子を扱った本が出まくってるので、名前は誰でも知ってますよね。
この『孫子』、孫武が書いたのかどうかも含め、ずっと議論されてきました。詳細は省きますが、ひとまずの決着がついたのは、なんと1972年のこと。つい最近のことです。
『孫子』の研究は、書かれて以降、多くの人の手でずっと行われてきましたが、中でも一番の功労者かつ有名人は、三国志に出てくる曹操です。
書き足されたりして膨れあがっていた『孫子』を、曹操はきちんと整理して、元の形であったと考えられる十三篇にまとめ直しました。
今の時代まで『孫子』がちゃんと読み継がれているのは、曹操のおかげかもしれません。曹操、ぐっじょぶ。
孫武は紀元前535年くらいの生まれで、春秋時代の人。斉出身で、斉を出奔して呉に仕えました。中国の大河ドラマみたいな連続ドラマ『孫子兵法(兵聖)』というのがU-NEXTで配信されてたので見たんですが、面白かったです。
孫武は『史記』にちょこっと書かれているだけなので、ドラマの大半はフィクションですけども。機会があれば是非。オススメです。
孫武の話を書いていると、今回前置きだけで終わってしまいそうなので省きます。ここからは、実際に『孫子』を読んでいきます。
◎──『孫子』計篇(一 〜 三)
戦争は国の一大事。生きるか、死ぬか。国の存亡がかかってるんだから、十分に考えなきゃだめ。
だから、まず五つの基本事項を検証するところからはじめましょ。
一つ目は「道」。大義名分の元に団結できているか。
二つ目は「天」つまりタイミング。
三つ目は「地」。地形の優劣を把握できているかどうか。
四つ目は「将」。智、信、仁、勇、厳といった観点で、優れたリーダーがいる
かどうか。
五つ目は「法」。ルールによって統制が取れているかどうか。この、道、天、地、将、法の五つについては、将なら誰でも聞いたことはあるはずだけど、本当の意味で知っている者が勝ち、知らない者は勝てない。
で、それらを踏まえて、敵と味方とでは「どちらの君主がより正しい政治を行っているか」「将はどちらが優れているか」「天の利、地の利はどちらにあるか」「ルールはどちらが徹底されているか」「軍の強さはどちらが強力か」「兵士はどちらが訓練されているか」「賞罰はどちらが公正に与えられているか」を比較検討して、私はどちらが勝つか負けるかを知るんだ。
◎──『孫子』計篇(一〜三)について
冒頭、書きませんでしたが、「孫子いわく」で始まります。孫子の言葉です。ざっくりまとめると、以下のような話です。
・戦争は一大事なんだから、やる前にちゃんと十分に考えろ。
・道、天、地、将、法の五つが基本となるポイントだ。
・君主の差、将の差、時と地理の有利不利、法の徹底、軍力、兵の練度、賞罰の公正さ、この七点を相手と比べて勝ち負けを予測しろ。やる前に、予測しろ。
戦争はやる前から始まってるし、勝てそうになかったらやるな、っていうのが孫子の考え方です。
ということは、ようするに一番大事なのは、今も昔も「情報」なんですね。
将の話で出てくる智、信、仁、勇、厳は、
智:かしこさ
信:誠実さ
仁:思いやり
勇:勇気
厳:威厳
くらいの感じに思っておいてください。
なお、(一〜三)という段落分けは、一番参考にした書籍がそこで区切っていたので、そのまま踏襲しました。
・『[新装版]全訳「武経七書」1 孫子 呉子』
守屋洋・守屋淳(プレジデント社)
この本では、計篇(書中では「始計篇」)は、七まであります。
◎──今回はここまで
ということで、しばらくこんな感じで『孫子』を読んでいく予定です。本当は私のいい加減な訳だけでなく、原文を添えられたらと思ったんですが、原文はエンコードの関係で難しかったので省きました。
「Web漢文大系」という素敵なサイトがあって、そこに読み下し文まで掲載されているので、そちらをどうぞ。
・「Web漢文大系」孫子・計篇
https://kanbun.info/shibu02/sonshi01.html
ではまた次回。このシリーズいつまで続くかはわかりませんが、まあ『孫子』は最後まで読み切ろうと思います。短いし。(笑)
【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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9月2日(土)に「まにまにフェスティバルP5」を開催します。詳細は次回。