まにまにころころ[125]ふんわり中国の古典(孫子・その5)軍形篇(一〜五)
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。いつの間にか10月。まにフェスから一か月。信じられません。私の9月はどこへいってしまったのか……

しかも、今年ももう残すところ三か月だというじゃないですか。

光陰矢の如し。

光陰矢の如し、というのも中国古典が出典らしい、というかいかにもそんな感じですが、ちょっと調べたところ、はっきりとした出典はよく分からず。どうも八世紀中頃の李益の詩によるというのが有力っぽいんですが。

ま、いいや、時間を惜しんで孫子の続きへと進みましょうか。

今回からは、第四章「軍形篇」です。「形篇」とする本もあります。今回も段の区切りは「全訳『武経七書1』 孫子 呉子」(プレジデント社)に合わせています。
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◎──『孫子』軍形篇(一〜二)

昔の戦上手は、最初に負けない態勢を整えてから、敵が崩れ、勝てる機会がくるのを待った。負けないようにできるかは自身の問題だが、勝てるかどうかは敵次第。

だから戦上手というのは、負けない態勢を取れるかどうかであり、必ず勝てるようにできるものではない。だから「勝ちを(受動的に)知ることは出来ても、勝つように(能動的に)しむけることはできない」というのだ。

負けないためには守ることだ。勝てると見えたら攻めることだ。守るのは劣勢の時で、攻めるのは優勢の時。

上手に守る者は九地の下、つまり地の底に隠れ、上手に攻めるものは九天の上、つまり天の上から攻めたてる。だから損害なく完勝できるのだ。


◎──『孫子』軍形篇(一〜二)について

負けないようにすることは自分次第でできるけど、勝てるかどうかの要因には相手が関係してくるから分からない、と。

だから戦上手と呼ばれる人はまず、自軍の態勢を整えて負けない形を作ってから、相手の隙をうかがって、勝ちを狙っていく。戦になれば、守るべき時にはぐっと潜んで身を固め、攻めるべき流れがきたら一気に攻め立てる。だから完勝できる、と、そんな話。

サッカー見てると、なんとなく孫子の言わんとすることが分かる気が。(笑)


◎──『孫子』軍形篇(三)

衆人誰もが勝利を知るような勝ち方は、最善のものではない。天下に褒め称えられるような勝ち方も、最善ではない。細い毛を一本持ち上げても力持ちとは言われないし、太陽や月が見えても目が良いねとは言われないし、雷鳴を聞くことができても耳が良いねとは言われない。

そんな風に、昔の戦上手は当然のことのように戦に勝利する者のことをいう。だから、戦上手が戦に勝っても、智恵も武勇も知られることがない。


◎──『孫子』軍形篇(三)について

さっきはサッカーの話だったんで、今度は野球の話を。本当のファインプレーは、ファインプレーにならない。

難しい打球を横っ飛びで見事キャッチすると褒め称えられるけど、本当に見事な守備というのは、飛んできたところに既にいて、難なくキャッチするというもので、目立たない。

難しい処理も、難しく見せない。なんでもないことのように片付けてしまう。田口とか、イチローとか。イチローのレーザービームはどうしても目立つけど。

本当にすごい人の功績って、その多くは目立たない。分かりやすさ、華やかさ、ってのも大事だと思いますけどね。

ドラゴンボールでいうと、実際に地球を守ったのは悟空たちですが、英雄視されているミスターサタンが呼びかけたからこそ一般人が力を貸してくれた、ってシーンがあったように。実際に何か物事を動かすには、どっちも大事だと思います。

でも、地味に見えて実はすごい、っての、カッコいい。

昨日のNHKスペシャル「人体」でやってた腎臓の働きも、地味に見えて実は臓器の要、司令塔というカッコよさ。

・「NHKスペシャル「人体」 “腎臓”があなたの寿命を決める」
http://www.nhk.or.jp/kenko/special/jintai/sp_3.html


地味、ばんざい。


◎──『孫子』軍形篇(四〜五)

そのように戦上手というものは、間違いなく勝つ。出陣すれば必ず勝つ。相手の崩れるのを待ち、既に敗れる態勢になっているところを見てから、勝てると分かって攻めるからだ。

つまり戦上手は、絶対に負けない態勢を整えて臨み、敵の負けを逃さない。

このように、勝つ者はまず勝つ態勢ができてから、戦いに臨む。負ける者は、まず戦いに臨み、それから勝とうとする。用兵に優れた者は、政治を修め、規律を保ち、そうして勝てる態勢を作ることができるのだ。

兵法は、第一に度(定規)、第二に量(枡)、第三に数、第四に秤、第五に勝敗を考える。

戦場を計測して、投入すべき物量を考え、兵数を定め、敵との戦力を秤にかけて、勝敗を読む。勝利する者は圧倒的な力量差をもって臨み、負ける者はその逆となる。

勝つ者は、満々と蓄えられた水の堰を千尋の谷へと切って落とすかのような勢いを持って戦をさせる。これが「形」、戦に臨む態勢である。


◎──『孫子』軍形篇(四〜五)について

軍形篇の締めの部分。ここまでほとんど同じことの繰り返しで、勝ち負けは、最初に勝てる態勢を整えられるかどうかで決まる、という話。実際に勝てるかどうかは相手次第だけども、負けない態勢を整えて戦に臨むことが肝要だと。

守屋さんの「全訳『武経七書』1 孫子 呉子」では、「度」で計るのは国土として、国土の広さが物資の量に繋がって、投入できる兵数になって、という訳でしたが、ここでは岩波文庫『孫子』の金谷さんの訳を参考に、計測するものを戦場としました。

いずれにしても言いたいことは変わらず、勝敗は戦う前の態勢によって決まる、という話。戦をするなら圧勝できる態勢を整えてからにしろ、と。


◎──今回はここまで

今回、ちょっと短いですがここまでで。続く兵勢篇(勢篇)は結構面白くて、長くなりそうな気がするので。

だいたいここまでで、章でいえば全体の三分の一くらいです。全十三篇だから。ここまでをひと言でまとめると「戦争はするな」でしょうか。

なお、戦をするなら圧倒的な戦力で、と繰り返し述べる孫子ですが、実際には、三万の兵で二十万の敵を蹴散らしています。(笑)

最後まで読めば、そんなこともできるようになるのかも。ということで、次回以降もしばらく孫子にお付き合いください。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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