まにまにころころ[128]ふんわり中国の古典(孫子・その8)軍争篇(一〜四)「風林火山」を楽しむ
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。今年はほとんど大河ドラマの話を書いていませんが、一応ずっと観てるんですよ。大河としてはなんていうかコレジャナイ感が強いけど、ドラマとしてはそこそこ面白いです。ちょっと虎松の顔芸がクドいけど。

井伊直虎の時代、井伊は今川と武田、今川が滅んでからは徳川に翻弄されます。大河では武田信玄として松平健がサンバを踊っていましたが、信玄と言えば、風林火山の旗印。その「風林火山」は孫子からの引用です。

さて今回は、その風林火山が出てくる「軍争篇」です。





◎──『孫子』軍争篇(一〜三)

用兵というものは、将軍が主君から命を受けて、兵を集めて軍を編成し、敵と対峙するまでのうちで、いかに機をつかむかという軍争ほど難しいものはない。

軍争の難しさは、回り道をするように見せつつ直進するほどの速さで移動し、不利だと思わせて有利を得るところにある。回り道をしながらも、相手を利益で釣り出して、相手よりも遅れて出発しておきながら、先に目的地に到達する。これが迂直の計を知るものである。

この軍争は制することができれば有利になるが、同時に危険も伴う。もし全軍を挙げて利を狙えば後れをとってしまうし、足の速い部隊のみで先を急げば、輸送部隊を置き去りにしてしまうことになる。

輸送部隊を捨てて、鎧を担いで軽装で日に夜を継ぐ強行軍で、行程を倍の速さにして百里先を目指せば、結局、全軍が敵の捕虜になるだろう。

強い者は先行できても、疲れた者は遅れ、十人のうち一人しか辿り着けないからだ。五十里であっても、先鋒の軍がやられるだろう。

辿り着くのはせいぜい半数程度だからだ。三十里でも三分の二くらいだろう。輸送部隊を置き去りにして、疲れた者も脱落させて一部だけで目的地に辿り着いたところで、兵も物資も糧食も財貨も無ければ滅びるしかないのだ。

諸侯のたくらみが分からなければ、外交も上手く行かない。進軍先の地形も、山林があるのか、険しい道がどこなのか、沼地があるのかなど知らなければ、進むことができないし、地形に通じた案内役がいないと、地の利を得られない。

戦というものは、敵を欺くことにはじまり、どうやって有利を得るかを考えて行動し、兵を分散させたり集中させたり、機に応じて変化させるものだ。


◎──『孫子』軍争篇(一〜三)について

迂直の計、って言葉そのままもどこかで聞いたことあるかも知れませんけども、遠回りすると見せかけて、遅くなると相手に思わせつつ急行する作戦ですね。

ちょっとこの段、話の繋がりがところどころ悪いように思いますが、元にする本によって前後が違っていたりします。

大元は木簡に書かれたものがバラバラになった状態で発掘されていたりするんで、解釈した人によって順番の違いが多少生じています。訳を無視して頭の中で再構成したほうがわかりやすいかも。

迂直の計をもって機先を制することができれば優位に立てる。しかし、それには危険も伴う。

速さだけを求めては大敗する。全軍を見て進軍のバランスを取らなければいけない。もちろん地形に通じている必要もある。

敵を欺くことが、作戦の大前提となる。それには諸国の腹の内も知っておく必要があるし、地形に通じたものを確保しておく必要もある。その上で、より有利になるように、臨機応変に変化してことにあたっていくのだ。

そんな感じかな。


◎──『孫子』軍争篇(四)

したがって、行軍というものは、その疾きこと風のごとく、静かなること林のごとく、侵略すること火のごとく、動かざること山のごとく、知りがたきこと陰のごとく、動くこと雷震のごとし。

里から略奪するには兵を分け、侵攻する土地を広げるには要所を分けて守らせ、さまざまなことを秤にかけて行動する。相手に先んじ迂直の計を知るものこそが勝つのだ。これが軍争の根本である。


◎──『孫子』軍争篇(四)について

キターーー!って感じですよね。(笑)

この軍争篇、この連載でいつも元にしている本では「七」まで続くんですが、今回はこの「四」までにしておこうと思います。話の区切りとしてもいいし、何よりもう少しこの「風林火山」を楽しみたいので。

風のような速さ。林のような静けさ。火のような侵略。山のように動かない。陰のように気配を消す。雷鳴の震えのように動く。

もう、めちゃめちゃ強そうな軍勢が脳裏に浮かびます。敵にしてみれば震えがくるでしょう。

風のような速さ。

疾風ですよ。田中芳樹の『銀河英雄伝説』で言えば、疾風ウォルフことミッターマイヤーのごとく迅速な行軍ですよ。

林のような静けさ。

静まりかえった軍勢が、相手の一挙手一投足に目を光らせて機を伺うんですよ。あるいは一糸乱れぬ行軍で静かに静かに迫り来るんですよ。銀英伝で言えば、誰ですかね、隙のない行軍、熱を秘めた感じ、ロイエンタールでしょうか。

火のような侵略。

侵略の形容に火をもってくるこのセンス。最高ですよね。変幻自在に形を変え、燃えさかり、うねりを上げて、触れるものを焼き尽くしながら延焼していく様。銀英伝で言えば、イゼルローンを強襲し制圧したローゼンリッターでしょうか。

山のように動かない。

相手の動きや挑発に動じない不動の構え。攻め入る隙を与えない無敵の陣形。銀英伝、いやここは『北斗の拳』南斗五車星の山のフドウで。名前だけで。

陰は林に、雷震は火にちょっと被ってるからか、割愛されて、風林火山。

其疾如風
其徐如林
侵略如火
不動如山
難知如陰
動如雷震

ですが、山と陰を逆にして、

其疾如風
其徐如林
侵略如火
難知如陰
不動如山
動如雷震

とするものもあります。こうすると、二句、四句、六句が、リン、イン、シンと、ひとつ飛ばしで韻を踏むからということで。サン(ザン)でもいいじゃんって思うんですが……日本人には「風林火山」が並ぶほうが気持ちいい(笑)。

雷震(らいしん)は雷霆(らいてい)とする本も多いのですが、雷震でないとそれこそ韻を踏めないので、今回は雷震を採用しました。

なお信玄の旗として伝わるものには、

疾如風徐如林侵
掠如火不動如山

と書かれています。あ、縦にですけど。「風林火山の旗」ではなく、「孫子の旗」とか「孫子四如の旗」と呼ばれていた模様。

ここまでさんざん風林火山フウリンカザンと何度も繰り返し書いてきましたが、四字熟語としての風林火山は文献などには無くて、井上靖が小説のタイトルにつけたのが最初じゃないかと言われています。

その井上靖の小説『風林火山』は、ちょうど十年前のNHK大河ドラマの原作です。

その大河の主人公・山本勘助が「兵は詭道なり!」って言ってますが、それも孫子の言葉ですね。ちなみに今でこそ兵法書と言えば『孫子』が第一に挙げられますが、というか『孫子』以外はほとんど知られていませんが、日本では、戦国時代までは同じ「武経七書」の『六韜』『三略』のほうがメジャーだったようで。

日本に伝わってなかったわけではなく、764年の藤原仲麻呂の乱では、対する吉備真備が唐で学んだ孫子・呉子の兵法を用いて事に当たったとされています。

また戦国時代が終わって江戸時代になると、林羅山をはじめとして、山鹿素行、新井白石、荻生徂徠、佐藤一斎、吉田松陰といった超豪華な面々が『孫子』の研究書を記しています。


◎──今回はここまで。

次回は軍争篇の残りと、続く九変篇を。以降、行軍篇、地形篇、九地篇、火攻篇、用間篇と続きます。今ちょうど折り返し地点くらいですね。思ったよりもちょっと時間かかっちゃった感じですが、残り半分、お付き合いください。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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