コロこと川合です。ロシアでのサッカーFIFAワールドカップが始まって、生活リズムの乱れが気になる今日この頃です。まあリズムなんて元々ないですけど。
初戦のロシア快勝、スペインvsポルトガルの熱戦、フランス苦戦、ドイツ敗戦、そしてブラジルもスイスに勝てず。見どころ満載の日々ですが、そんなことはさておき『論語』の時間です。
◎──巻第一「学而第一」九
・書き下し文
曾子曰わく、終わりを慎しみ、遠きを追えば、民の徳厚きに帰せん。
・だいたいの意味
曾子が言われた。(人の上に立つ者が)父母の葬礼をきちんと行い、また祖霊の祭祀も丁寧にとり行えば、民の徳も厚いものになるだろう。
◎──巻第一「学而第一」九について
為政者が礼をもって規範となるようにすれば、民は感化されて自然といい国になりますよ、という話。礼が例に挙げられ、父母の葬礼と祖霊の祭祀について書かれていますが、礼に限らず、人の上に立つ者が徳をもって民を感化しろ、というのが孔子の基本方針です。
◎──巻第一「学而第一」十
・書き下し文
子禽、子貢に問うて曰わく、夫子の是の邦に至るや、必ず其の政を聞く。これを求めたるか、そもそもこれを与えたるか。子貢曰わく、夫子は温・良・恭・倹・譲、もってこれを得たり。夫子のこれを求むるや、其れ諸人のこれを求むると異なるか。
・だいたいの意味
子禽が子貢に質問された。孔子先生はどこの国に行かれても、必ず政治について相談されますよね。それって、先生のほうから相談されるように求められてのことなんでしょうか、それとも君主のほうから相談しようと思われてのことなんでしょうか。
子貢が答えられた。先生は、温厚で、素直で、慎み深く、節度があって、謙譲の心を持たれている
ので、自然と相談されるんだよ。立場上自ら求められることもあるだろうが、先生の求め方は、他の人のような求め方とは違うね。
◎──巻第一「学而第一」十について
子禽(しきん)も子貢(しこう)も孔子の弟子で、もちろん子貢が先輩です。子禽は子貢の弟子との説もあります。
徳の厚い孔子先生は、自然と人から頼られるんだよ、という話ですね。
孔子は政治コンサルタント的な立場ですので、もちろん自ら求めるような形になることもあるでしょうが、その求め方はそこらのコンサルもどきが自分の欲から無理に請うようなものとは違うよと。
◎──巻第一「学而第一」十一
・書き下し文
子曰わく、父在ませばその志を観、父没すればその行ないを観る。三年父の道を改むること無きは、孝と謂うべし。
・だいたいの意味
その人の父が存命なら、その人の志を観察するようにして、その人の父が亡くなっていれば、その人がどう振る舞うかを観察する。父が亡くなってから喪が明けるまでの三年間、その父のやり方を改めることなく遵守するようであれば、その人は孝の人と言えるだろう。
◎──巻第一「学而第一」十一について
ここはいくつか解釈があり、上に書いたのは、その人が孝かどうか、ひいては徳を持った人かどうかを見極める方法について語られている、という説で。
父が存命中は、子は父に従うものだから、その人自身を知りたければ行動ではなくその志に目を向けなさいと。父が亡くなられた後は、その人の行動を観なさい、という話。
もうひとつの説は、シンプルに「父親が生きているうちは父の志から学びを得、亡くなられたらその足跡から学びを得なさい」とする説。
それだとその後に続く「父のやり方を三年変更しないのは孝だ」という部分が唐突すぎるし、前段も父が立派な人でないと成り立たないと思うので、ここは先に挙げた方の説じゃないかなと思います。
あとひとつ「父親が生きていれば志から学び、亡くなってからは足跡に学び、亡くなっても三年間その父親のやり方を変えずに守る人は考の人だ」とも。これは確かに筋も通っていて、これはこれでしっくりきますね。
また「三年」というのは喪中の期間だとする説のほか、「ずっと」という意味だとする説もあります。個人的には、喪中が妥当じゃないかなと。ちなみに、喪中とすれば、ここでいう「三年」は、「二十五ヶ月」説と「二十七ヶ月」説があります。風習と数え方の問題です。
父のやり方を三年間改めないのは孝、って話はそのうちもう一度出てきます。
◎──巻第一「学而第一」十二
・書き下し文
有子曰わく、礼はこれ和をもって貴しとなす。先王の道もこれを美となす。小大これによるも、行われざる所あり。和を知りて和するも、礼をもってこれを節せざれば、また行うべからざるなり。
・だいたいの意味
有子が言われた。礼は和が大切である。いにしえの聖王の道も和によって立派であった。しかし小事でも大事でも言えることだが、和をもってしても上手く行かないこともある。和を理解して和を取り入れていても、礼によって節度を守ることを怠れば、和だけでは上手く行かない。
◎──巻第一「学而第一」十二について
和をもって貴しとなす。どこかで聞いたような……「礼の用は和を貴しとなす」という書き下し文もあったのですが、やはりここは、和をもって貴しとなしたかったんで。(笑)
和は、調和とか、和合、です。バランスを大事に、仲良く、丸く。儀礼や祭祀にとって調和が重要な要素であるが、和だけではだめで、そこには礼としての節度があってこそであるという話。
日本は「和をもって貴しとなす」だけで来てる感。確かにちょいちょい上手く行かないこともあるような気もします。
◎──巻第一「学而第一」十三
・書き下し文
有子曰わく、信、義に近づけば、言復むべきなり。恭、礼に近づけば、恥辱に遠ざかるなり。因ることその親を失わざれば、また宗とすべきなり。
・だいたいの意味
有子が言われた。信が義にかなうものであれば、その約束事は確かに守るべきである。恭しさの心が礼にかなうものであれば、恥辱から遠ざかるだろう。
人との付き合いにおいて、最初に親しむべき人を間違えなければ、その人を長く尊敬していけるだろう。
◎──巻第一「学而第一」十三について
誠実であろうとする信の心は大事だけど、そこに義があってこそ、約束を守るべき。恭しく人に接する心は、それが礼に沿ったものであれば、バカにされたりはしない。そして、付き合う相手は選べよ、と。
なんていうか、有子がこう話すきっかけになった出来事が想像できそうな一節ですね。絶対、過去に会った「嫌なやつ」を具体的に想定して言ってる。(笑)
◎──巻第一「学而第一」十四
・書き下し文
子曰わく、君子は食飽くを求むる無く、居安きを求むる無し。事に敏にして言に慎しみ、有道に就きて正す。学を好むというべきのみ。
・だいたいの意味
君子は飽食を求めたりしないし、安楽な住まいも求めない。仕事は敏速で言葉は慎み深く、また道に沿った徳のある人の側について自らの道を正してもらう。そういう人のことを、学問を好む人だと言う。
◎──巻第一「学而第一」十四について
君子とは、学問を好む人とは、こういう人のことだと。ここでいう学問というのは、徳の道を学ぶことです。孔子の話なので。
◎──巻第一「学而第一」十五
・書き下し文
子貢曰わく、貧しくして諂らうこと無く、富みて驕ること無きは、いかん。子曰わく、可なり。未だ貧しくして楽しみ、富みて礼を好む者に若かざるなり。子貢曰わく、詩にいう、切するがごとく、磋するがごとく、琢するがごとく、磨するがごとしと。それこれをいうか。子曰わく、賜や、始めてともに詩を言うべきのみ。これに往を告げて、来を知る者なり。
・だいたいの意味
子貢が言われた。貧しくても卑屈になってへつらわず、富んでも驕ることがない人というのは、いかがでしょうか。
孔子先生が言われた。いいね。でも貧しいながらも道を楽しみ、富んでいても礼を好むという人には
及ばないね。
子貢が言われた。なるほど、詩経に『切磋琢磨』とあるのは、それを言っているのですね。
孔子先生が言われた。賜(子貢)よ、これからは一緒に詩経について語り合えるね。告げたことから察して、その先まで理解できるようになったのだから。
◎──巻第一「学而第一」十五について
「切磋琢磨」はどれも細工物の加工工程で、磨き上げて仕上げることです。
徳の道には上には上がいるという話。打てば響くように理解を示した弟子に、これからは共に語り合えるねと、喜びをみせています。
◎──巻第一「学而第一」十六
・書き下し文
子曰わく、人の己れを知らざるを患えず、人を知らざるを患う。
・だいたいの意味
人が自分の価値を知ってくれないことを憂うのではなく、自分が人の真価を知らないことをこそ憂うことだ。
◎──巻第一「学而第一」十六について
あとでもまた同じような話が出てきます。知られないことを気にかける前に、知らないことを気にかけろという話。
「学而第一」はここまでです。『論語』の冒頭をかざるこの篇は、全体を通じて「学問に対する姿勢」について、あれこれ語られています。それは、おそらく『論語』が、編纂者以降の儒学者のための教科書として作られたからだろうということです。
そう考えて読み返してみると、この篇に書かれていることが少し分かりやすくなります。
◎──今回はここまで。
次回は、最初に少し「学而第一」を振り返るところからはじめて、先に進んでいきたいと思います。
【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
https://www.facebook.com/korowan
https://www.facebook.com/caputllc
http://manikabe.net/