日々の泡[002]足るを知る【清貧の思想・麦熟るる日に/中野孝次】
── 十河 進 ──

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元日産会長カルロス・ゴーンが逮捕されて二ヶ月になる。やったことが違法だったかどうかは裁判になってからの判断なのだろうけれど、その報道を見る限り、僕の感想は「人間の欲望は果てしがない」というものだった。

日産の報酬だけでも十数億円、加えてルノー会長としての報酬もあり、それで充分過ぎると思うのは僕が乏しい年金生活者だからだろうか。ただし、四十年勤め保険料をせっせと納めたおかげで、今のところひとり暮らしをするには不自由はしていない。食べていければそれでいい、と思っている。





もっとも、僕の四国での生活と言えば、実家の裏の父が持つ借家の一軒を只で使わせてもらっているし、行動範囲は半径二キロくらいに限られている。金はかからない。実家と借家を行き来し、食事はすべて自分で作っている。

早朝の散歩のときに二十四時間開いているスーパーで二日分の食料を買っているが、支払いは二千円足らずですんでいる。十日に一度くらいの割合で四キロほど離れた高松市の中心街に出かけ(電車代は190円)、友人と居酒屋などに入る。その後、ショットバーでウィスキーを飲んで帰るのだが、支払いはせいぜい四、五千円ですむ。

健康保険料、介護保険料、所得税、住民税を引かれた年金は、現役時代から比べれば可処分所得が極端に少ないけれど、労働しないで二ヶ月に一度まとまったお金が振り込まれるのはありがたいとしみじみ思う。四十年間働いた自分に改めて感謝する。

そんなとき「ライムライト」(1952年)のチャップリンのセリフを思い出す。老道化師(チャップリン)が、自分をバレエスクールに通わせるために姉が街娼になっていたのを知って自殺を図ったバレリーナ(クレア・ブルーム)に向かって言うセリフである。

----人生に必要なのは、勇気と、想像力と、少しのお金。

カルロス・ゴーンと対照的なのは、メディアが勝手に「スーパー・ヴォランティア」などと祭り上げたオバタさんだろう。その生き方を知れば知るほど頭が下がる。月六万円足らずの国民年金だけで、ヴォランティアとしての生活を賄っているという。軽自動車のヴァンで寝泊まりし食事も安くあげているらしい。

ヴォランティアにいった現地に迷惑をかけないことを己に課し、謝礼などは一切受け取らない。見返りは求めない。遠く離れた被災地へいくのにはガソリン代もかかるだろうに、と心配になる。おそらく高速道路は使わず、一般道で九州から東北の被災地に通ったのだろう。

そんなことを考えていたら、昔、ベストセラーになった中野孝次さんの「清貧の思想」を思い出した。本が出たのは一九九二年、バブル崩壊直後のことだった。中野さんは本来はドイツ文学者なのだが、「徒然草」や「方丈記」などの解説本も出していて、「清貧の思想」も吉田兼好や西行、良寛、芭蕉などの生き方を取り上げている。

要するに、物質的な豊かさより「心の豊かさ」を持とう、という内容だ。「しぐるるや あるだけの飯 もう炊けた」と詠んだ放浪の俳人・山頭火なども「清貧の思想」的生き方の系譜に入るだろう。

日本語には「足るを知る」という言葉がある。少しのお金があり、生活するのに充分ならそれでいいと思っている今の僕は「足るを知る」状態なのだろうか。うーむ、そこまでは悟っていないかもしれない。ただ、特に欲しいものもないし、食べるものも贅沢したいとは思わない。

早朝のスーパーに行くと、消費期限がその日になっている魚肉類(前日の売れ残り)は割引になっていて、どうせその日に調理するからと、そんな食材を買っている。飲みに出ても、居酒屋の煮込みと焼酎で満足する人間だ。着るものはユニクロですませている。

誰に会うわけでもない。散歩し、実家の両親の様子を見、本を読み、DVDを見、原稿を書き、公園で猫と戯れて終わる日々である。西行、芭蕉、あるいは山頭火のような生活はできないが、放浪の詩人のような生き方に憧れる気持ちはある。物質的豊かさより「心の豊かさ」を感じる方が幸せだとも思う。

日本人の多くがそんな生き方に共感したから「清貧の思想」はベストセラーになったのだろう。しかし、「清貧の思想」がベストセラーになったとき、僕は「中野孝次さんの本がベストセラー?」と少し違和感を感じたものだった。その十四年ほど前、僕にとっての大切な一冊が、中野孝次さんの初めての小説集「麦熟るる日に」だったからだ。

それは、「鳥屋の日々」「雪ふる年よ」「麦熟るる日に」の自伝的小説三編をまとめた単行本だった。出版されたのは一九七八年、新聞の書評を読んですぐに買ったから、僕が読んだのもその年だった。僕は社会人になって三年、まだ学生気分を引きずる未熟な青年だった。

三部作の語り手は、中野さん自身だと思って読んでもいい。記憶だけで書くので少し違うかもしれないが、冒頭の一行は「記憶の世界は薄暮に似ている。そうは思わないか」というものだった。自身の記憶を手探りするように語られる物語は、まだ二十七歳で文学の夢をあきらめていなかった僕をのめり込ませた。

確かに薄暮の世界のように、うすぼんやりとした景色が見えてきた。記憶の中の人物は薄い膜がかかったように、ときには輪郭がゆらゆらと揺れるシルエットだけになったように感じられた。それは、自身の少年から青年にかけての時期を数十年後に回想して描くには、最も適した文体ではないかと僕は思った。

中野さん自身は大正十四年生まれだから、僕の父と同じ歳である。大工の子として生まれ「職人の子に教育はいらない」と中学進学を断念させられる。しかし、優秀だった中野さんは猛勉強をして旧制中学の卒業資格を取得し、旧制第五高等学校へ進み、戦後に東大文学部独文科を卒業する。そんな生い立ち(徴兵令状が届くまで)が小説の形で語られるのだ。

身につまされたのは、同じように僕もタイル職人の子だったからかもしれない。子供の頃は「本ばっかり読んどらんで」と、よく叱られたものだった。家には本が一冊もなかったから、僕の小遣いはほとんど本に費やされることになった。ただ、僕は中野さんほど優秀でもなく、努力家でもなかった。だから、今、ただの年金生活者として、身分相応に足るを知る生活をしている。


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