まにまにころころ[153]ふんわり中国の古典(論語・その16)孔子先生から「仁」認定を受けるのは並大抵のことではない
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。NHK大河ドラマ、視聴率低迷がニュースになっていますが、中身はそこそこ面白いんですよ? 配信サービスででも見てみてください。

ただ、これまでの大河ファンが見たがるタイプではないんですよねえ。その分、離脱者が増えて視聴率の低下に繋がってるのかなと。

昨夜は地上波本編終了後に、Twitterのライブ配信で裏話番組が生放送されたんですが、これが面白かった! 大河ドラマ大好きな赤江珠緒さんをナビゲーターに、足袋職人役のピエール瀧さん、天狗倶楽部・吉岡信敬役の満島真之介さん、ディレクターの井上剛さんが語る裏話。

ちょうどこの日は、ストックホルムへと送り出す感動的な回だったのですが、撮影順では最初だったそうで。互いに思い入れもまだ薄い状態での撮影なのに、なみだなみだの壮行シーンだったとのこと。それでも感動させられる役者さん、すごいですよねー。





また、ドラマ中に異彩を放つ天狗倶楽部ですが、メンバーのことを「○○天狗」と呼び合うのも史実通りであるとのことでびっくり。吉岡信敬さんはバンカラスタイルの応援団の祖として、知る人ぞ知る伝説の人物らしいです。

……そういうことを、放送前から広く知ってもらえていたら、視聴率も上がったのに。

出演者でもなければNHKアナウンサーでもない、フリーアナウンサー・赤江珠緒さんが、なぜかナビゲーターでしたが、赤江さんは物心ついて以来かかさず大河ドラマを観ているという大の大河ファンであると同時に、ピエール瀧さんとはTBSラジオ「たまむすび」木曜日で、何年もパートナーを組んできた仲。

タブレット操作にもたつくたまちゃんを瀧さんがサポートする姿は、なんともほほえましかったです。

そう、たまちゃんこと赤江珠緒さん、大好きなんですよ。追っかけてるとか、出演番組を欠かさず見てるとか、そんなことはぜんぜんないんですけども。

私が学生の頃、毎朝のように見ていた大阪の朝の番組で、毎週土曜に出られてて、数年後、東京へ移って全国ネットの朝番組を担当されるようになった時には、娘の栄転を喜ぶ父親のような誇らしい気分でした。赤江さんの方が年上なのに。

そんなこんなで今でも、活躍するたまちゃんを見る度、応援してしまうんです。関東圏のみなさんはぜひ、TBSラジオ「たまむすび」を聴いてみてください。

話が大きく逸れてしまいましたが、えっと、大河ですね大河。昨夜放送の八話は、日本最初のオリンピック選手である金栗四三と三島弥彦を送り出す両家の、感動的なシーンの連続だったそうです。

……だったそうです。ええ、私、昨夜だけ見てなくて。(笑)

よりによってNHKがですよ、Eテレで真裏にやってる日曜美術館で、葛飾北斎をぶつけてきまして。北斎も好きなんですよ……そっち見ちゃいました。

いだてんは土曜に再放送もあるし、なんならU-NEXTで契約してるNHKパックでも見られるしと、つい、ね。視聴率の調査対象にうち入ってたらゴメンナサイ。

一年やってる大河ドラマ、まあそんな日もありますよね。

さ、気を取り直して、本題の論語に移りましょう。


◎──巻第三「公冶長第五」十三

・だいたいの意味

子貢が言うには「孔子先生の普段のお言葉は聞くことができるが、人の性質や天の道理についてのお言葉はなかなか聴くことができなかった」と。

・巻第三「公冶長第五」十三について

正直ちょっと何言ってるのかよく分からないところですが、本質的な、奥深い話題については軽々しくは話されなかったのでしょう。


◎──巻第三「公冶長第五」十四

・だいたいの意味

子路は、教えを聴いてまだそれを十分に実行できていないうちは、さらに教えを聴くことを恐れた。

・巻第三「公冶長第五」十四について

子路はきっちりひとつひとつ実行していくタイプだったんでしょう。ひとつの教えを満足に実行できていないうちにさらに次の教えを聴いては、実行が追いつかなくなるので、それを恐れたと。

子路、真面目というか不器用なタイプで。性格は良くも悪くもとっても素直。最期は、仕える太子に厳しい言葉を投げつけて、怒りを買って殺されます。

『論語』にいちばん多く登場する弟子で、中島敦『弟子』の主人公です。この小説は子路が、孔子の邪魔をしてやれと絡みにいくところから始まります。で、その結果、感化されて弟子に。素直な子なんです。


◎──巻第三「公冶長第五」十五

・だいたいの意味

子貢が孔子先生に尋ねた。「(衛の大夫だった)孔文子はどうして文という名をおくられたのでしょうか」

孔子先生が仰った。「利発で学問好きで、目下の者に質問することも恥じない人だった。だから文とされたのだ」

・巻第三「公冶長第五」十五について

諡(おくり名)は、皇帝や高官など身分の高い人に、その業績や性質に沿って死後につけられる名前です。基本的にはある程度のルールというか慣習があり、ここでは「孔文子は文の名をおくられてるけど、どんな人だったの?」という感じの質問に、「学問好きな人だったんだよ」と答えた、ってとこでしょう。


◎──巻第三「公冶長第五」十六

・書き下し文

子、子産を謂う。君子の道四つ有り。その己を行うや恭、その上に事うるや敬、その民を養うや恵、その民を使うや義。

・だいたいの意味

孔子先生が(鄭の名宰相だった公孫僑)子産を評して言われた。君子の道を四つ備えていた。己の行いは謙虚で、目上には敬意を持って仕え、民を慈しんで養い、民を使役するときは義をもってあたっていた、と。

・巻第三「公冶長第五」十六について

君子が備えておくべき道がいくつあるのかは分かりませんが、ここからはその四つがうかがい知れますね。


◎──巻第三「公冶長第五」十七

・書き下し文

子曰わく、晏平仲善く人と交わる。久しくして之を敬す。

・だいたいの意味

(斉の名宰相だった)晏平仲は、上手に人と交際される方で、長く付き合って親しくなっても相手に敬意を示されていた。

・巻第三「公冶長第五」十七について

仲良くなったらなれなれしくなるような輩じゃなかったと。さっきの子産も、この晏平仲も、孔子からみて少し先輩にあたるくらいの人です。


◎──巻第三「公冶長第五」十八

・だいたいの意味

臧文仲は(大夫の分際で)亀卜の亀甲を蓄え、蔵の柱の上に山の彫刻を施し、梁に水草を描いていた。そのような者が智者であろうか。

・巻第三「公冶長第五」十八について

この手の話はよくでてきますが、天子や貴人にしか許されていない行為というものが当時の礼ではいくつもあって、身分をわきまえず驕ってその行為に及ぶ輩がちょくちょくいるんですね。この臧文仲(ぞうぶんちゅう)もそのひとり。時代的には孔子より少し前の時代の人で、世間の評判としては智者と言われていたようです。


◎──巻第三「公冶長第五」十九

・だいたいの意味

子張が孔子先生にお尋ねした。楚の令尹(宰相)である子文は、三度仕えて令尹となったが喜ぶ様子は見せず、三度辞めさせられても恨む様子はなく、前任の令尹としての政務を後任の令尹にきちんと伝えて引き継いだそうです。いかがでしょうか。

孔子先生が答えられた。忠だね、と。

子張が、仁でしょうか、と尋ねると、孔子先生が仰った。まだ智者とも言えない身であるから、仁とは言えないだろう、と。

崔子が斉君を弑逆した時、陳文子は持っていた馬四十頭の財産を捨て、斉の国を去りました。他国へ着くと、(この国の家臣も)我が国の大夫だった崔子と同様だと去り、また違う国に着くと、(この国の家臣も)我が国の大夫だった崔子と同様だと去ったそうです。これはいかがでしょうか、と子張が尋ねると、孔子先生は、清廉だね、と答えられた。

子張が、仁でしょうか、と尋ねると、孔子先生が仰った。まだ智者とも言えない身であるから、仁とは言えないだろう、と。

・巻第三「公冶長第五」十九について

孔子先生から「仁」認定を受けるのは、並大抵のことではないんです。

子文は忠義の人、陳文子は清廉な人との評価を受けました。確かにそうですが、それではまだまだ仁者とは言えないんですよ。その手前の智者とも認められていない。

判断材料が足りないから認められないというのもありますが、この二人の行動は、これといって世の中の役には立っていないというのも大きいのかなと。


◎──巻第三「公冶長第五」二十

・だいたいの意味

(魯の大夫)季文子は、三度考えてからはじめて行動に移した。孔子先生はこれを聞いて、二度考えればもういいよ、と仰った。

・巻第三「公冶長第五」二十について

ひどい(笑)
まあ、考えすぎるのもよくないよ、ということです。


◎──今回はここまで。

人物評が続きますが、孔子先生の価値観が垣間見えますね。前に読んだ『孫子』に比べて、ふんわりとした話が多くて疲れてきますが、ハッとさせられることがよくあります。反省させられることが多いです。……だから疲れるのかも。

あと二回ほどで、全十巻のうち三巻まで終わりそうです。

まだまだ先は長いですが、お付き合いください。

【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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