●『西郷どん』より断然面白いですよ
コロこと川合です。いやあ、NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』、視聴率の低さばかりがニュースになりますが、回を重ねるごとに面白さが!
前回ここで見なかったと書いた第八回も、配信で見て何度も泣かされました。観た人にしか通じない話ですけど、二人それぞれが日の丸のウェアを受け取る、そのシーンが、もう! どっちも良かった!
特に弥彦。昨夜の回でも分かるとおり、ああ見えてなかなか繊細なんですよね。その内面を生田斗真さんがまた、上手に見せてくれるんですよ。
脚本の冴えも随所で光り、見続けてきて良かったなと噛みしめています。まだ3月なんですけどね。スタートダッシュで躓いたのが残念でしかたないです。
今となっては、ドラマとしては『西郷どん』より断然面白いですよ。あっちは、歴史的に超面白い時代が舞台という、高下駄履いてましたからね。
そろそろ各種メディアも手のひらくるくるひっくり返して、賛辞を送り出すんじゃないでしょうか。次回はいよいよ、ストックホルム五輪が始まります。
ストックホルム五輪終わりで失速しないことを祈りつつ、来週も視聴予定です。
さて、それはそれとして、ここからは論語へ。論語も大河と同じく、脱落せずずっと読んでいくと面白い……はず!
ちょっと疲れてきた方は、物語仕立てになっているものもありますので、ぜひそういったものを読んでみてください。代表的なものを以下にひとつご紹介。
下村湖人『論語物語』青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/001097/files/42923_58753.html
それでは本編に移ります。
◎──巻第三「公冶長第五」二十一
・だいたいの意味
甯武子は、国が道理によって治められている時は智者であった。国から道理が失われてからは愚者であった。その智者ぶりは真似できるが、愚者ぶりは真似できない。
・巻第三「公冶長第五」二十一について
少し補足しないと何の話かわからないですね。甯武子(ねいぶし)は孔子より前の時代に生きた政治家ですが、主君が変わって国から道理が失われてもなお愚直に仕えて尽くした人だそうで。
愚者、というのはここでは褒め言葉としての評価ですね。
仕えるに値しないようなダメ君主にも真心を尽くす姿勢を、孔子先生はここで、常人には真似できないとして称えているということです。
と、まあ、そう聞くと、ああそうなのかと思うんですけども。
孔子先生が尊敬してやまないのは、周王朝を打ち立てた功臣、周公旦ですよね。周って、殷王朝が道理を失ったから倒したんですよね。それはいいの……かな?
そのあたり、孔子先生はどう思われているんでしょう。
孔子先生は、伯夷・叔斉の兄弟のことも称えているんですよね。伯夷・叔斉は、殷を倒そうとする周の武王を諫め、それが適わずに周を離れ、山に籠もり餓死した兄弟です。
この伯夷・叔斉、孔子先生が称えそうな逸話は他にあるんですが。
この二人、孤竹国という国の王子で、伯夷が長男、叔斉は三男なんですが、王が三男の叔斉に王位を譲ろうとしたところ、長男を差し置いて王になるなんてできませんと断りまして。
それを知った伯夷は国を出て身を引こうとするんですが、叔斉は後を追って、結局二人で出奔。国は次男が継ぐことに。長幼の序を重んじる叔斉と、その弟を立てようとした伯夷の兄弟を、孔子先生はとても高く評価しています。
伯夷・叔斉については、このふたつ後に出てきます。
話は逸れますが、このエピソードは司馬遷の『史記』の列伝に書かれていて、それを読んで強い感銘を受け人生が変わったのが、水戸黄門、徳川光圀です。不良少年だった光圀は、これを機に更正。誰もが知る偉人へと成長します。
徳川光圀については、冲方丁『光圀伝』でもお読みください。オススメです。
話は戻って、孔子先生。周が殷を倒したことについてはどう思ってるんでしょ。
これ、儒教的には、孔子に次ぐ重要人物である孟子が周を正当化してるんです。殷の紂王は仁義を失ってるんだから王たる資格なく、単なるひとりの男だから、それを討っても主君を弑逆したことにはならない、と。
……いやいや、それを言ったら、正義さえあれば主君を討ってもいいって話で。それなら、ダメ主君に仕え続けた甯武子を称える、孔子の立場はどうなるのと。
孔子が尊敬するのは周公旦、周公旦は紂王を討った武王に仕えた人。そこだけ見れば、孔子的には別に周が殷を倒したことと、周公旦を尊敬することとは矛盾しないのかなとも思いますけども。尊敬のポイントは周公旦が周の礼を整えた点であるでしょうし、それはそれ、これはこれ、なのかな。
なんだか(主に孟子のせいで)もやもやしないでもないですが、先へ進みます。
◎──巻第三「公冶長第五」二十二
・だいたいの意味
孔子先生が陳の国で言われた。帰ろう。帰ろう。故郷の若者たちは志高く、美しい織物のようだが裁断の仕方が分からないでいる。
・巻第三「公冶長第五」二十二について
なぜ急にそんなことを言い出したのかは分かりませんが、旅の途中でふと故郷を思い出したんですね。早く故郷に帰って指導してあげなきゃ、って。
◎──巻第三「公冶長第五」二十三
・だいたいの意味
伯夷・叔斉は古い悪事をいつまでも問題にしなかった。だから恨まれることも少なかった。
・巻第三「公冶長第五」二十三について
さっきのエピソードとはあまり関係ないのですが、清廉な人でありながらも、誰かがやらかした悪事をいつまでもネチネチと責める人ではなかったと。
その割には、周を非難して、そんな国で採れる作物を口にするものかと離れ、山に籠もって餓死するという強烈さを持った人なんですけどね。
◎──巻第三「公冶長第五」二十四
・だいたいの意味
誰が微生高のことを実直な人だなんて言っているのか。ある人が微生高に酢を貰いに行ったら、お隣に貰って与えたというじゃないか。
・巻第三「公冶長第五」二十四について
何がいけないのか、よく分からない話ですけども。自分も隣に貰っておきつつ、しれっとそれを人にあげていい顔をして、という解釈みたいです。
そんな、ねえ。貰った人はこの微生高のおかげで手に入ったんだし、微生高も「これお隣から貰ったものなんだけど」って分けてあげたのかもしれないし。
ぶっちゃけどうでもいい話で、孔子先生もまさかこんな話が本にされて、はるか後世の人にまで読まれるとは思ってなかったんじゃないですかね。
◎──巻第三「公冶長第五」二十五
・だいたいの意味
左丘明は巧言・令色・足恭を恥じる。私もこれを恥じる。左丘明は恨みを隠しその人と友だち付き合いをすることを恥じる。私もこれを恥じる。
・巻第三「公冶長第五」二十五について
巧言令色は学而の三番目でも出てきましたよね。巧言令色すくなし仁、って。巧言は口が上手いこと、令色は外見を飾ったり表情を取り繕うこと。足恭は、卑屈にへりくだることです。
左丘明は孔子よりずっと前の時代の人で、その人を引き合いに出して、自分の考えを述べています。別に他の誰かでもたぶん良かったかと。(笑)
◎──巻第三「公冶長第五」二十六
・だいたいの意味
顏淵(顔回)と季路(子路)がお側にいたとき、孔子先生が仰った。それぞれ、こうありたいという志を言ってみなさい、と。
子路が言った。願わくば、車馬や衣服を友と共用して、それが破れることがあっても恨むことないような人でありたいです。
顏淵が言った。願わくば、善行を自慢するようなことなく、苦労を人に押しつけるようなことなくありたいです。
子路が、よろしければ先生の志をお聞かせくださいと言うと、孔子先生が仰った。老人には安心され、友だちには信頼され、若者には慕われるようでありたいね。
・巻第三「公冶長第五」二十六について
「苦労を人に押しつける」の部分は「功労を人に自慢する」という感じに読む説もありますが、いずれにしても、そうですかーという何気ない会話ですね。
縁側でお茶を飲みながら話してる姿を勝手に想像してほんわかしました。(笑)
◎──巻第三「公冶長第五」二十七
・だいたいの意味
もはやおしまいだね。私は未だに、自らの過失に気づき自らを責める人を見たことがないんだ。
・巻第三「公冶長第五」二十七について
いやいや、いるよ! 知らないだけだよ! 絶望するには早いよ! って思いますが、ちょっと大袈裟に嘆いて世を憂うことで、門弟に自省を促しているんでしょう。
荻生徂徠によると、顔回の死後、過ちを繰り返すことがなかったという顔回を偲んで、顔回のような者を見ることがなくなったと嘆いた言葉とのことです。
◎──巻第三「公冶長第五」二十八
・だいたいの意味
十戸程度の小さな村にも、私くらい忠の心・信の心を持つ者はいるだろう。私くらい学問を好きでないだけだ。
・巻第三「公冶長第五」二十八について
素質でいえば自分と同程度の人なんていくらでもいるのに、学問をしないからだめなんだ、と。玉磨かざれば光なし、といったところでしょうか。
私くらい忠信の心を持つ者はいくらでもいるだろうし、私くらい学問が好きな者もいるだろう、とする説もあります。その場合、いねーよ、としか言えないですけども。
◎──今回はここまで。
公冶長、ここまでです。主に孔子先生の人物評が集められた篇で、ほうほうと読み流しつつ、なんとなく孔子先生の価値観が知れる二十八章でした。
次回からは、巻第三「雍也(ようや)第六」です。公冶長とわりと似た感じで色んな人が出てきます。
まだやっと四分の一ですが、どうぞ次回もお付き合いください。
【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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