日々の泡[010]ヘミングウェイの猫たち【老人と海/アーネスト・ヘミングウェイ】
── 十河 進 ──

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全身ガンに冒され「生きてるのが不思議」と医者に言われた妻は、認知症を患う夫と共に大型のキャンピングカーで旅に出る。五十年連れ添った夫婦だが、今でも深く愛し合うふたりだ。

目的地は英語教師だった夫が一度はいきたいと言っていた、フロリダ・キーウェストにあるヘミングウェイ博物館である。ヘミングウェイ博物館は、アーネスト・ヘミングウェイが晩年を過ごした家で、そこで「老人と海」を書いたと言われる。

ヘミングウェイ博物館には猫が数十匹も暮らしているのだが、それはヘミングウェイが飼っていた猫の子孫(六本指の遺伝子を持つ)だという。しかし、現在のヘミングウェイ博物館は観光名所化していて、老夫婦が到着したときには結婚パーティが行われている。

様々なイベント用の会場として貸し出しているらしい。「まったく、どうなってるの」と、想像していたのとは大きく異なり妻は落胆するが、認知症の夫は結婚パーティに紛れ込み、一緒になって踊り出す。

しかし、頭がはっきりしているときの夫は、昔通りの文学好きの英語教師である。その日の朝も夫はホテルのビュッフェの黒人ウェイトレス相手に、「老人と海」の冒頭の文章を暗誦し解説する。





彼は誰彼かまわずにヘミングウェイやハーマン・メルヴィルなどアメリカ文学の話を始めるのだ。ところが、夫は「老人と海」の最後のフレーズが思い出せない。「美しい文章なのに---」と夫は落ち込む。

すると、ウェイトレスが「老人はライオンの夢を見ていた」と暗誦し、「卒論が『老人と海』だったの」と彼女は言う。そこへやってきた妻に、夫は感激して「彼女は『老人と海』を卒論にしたのだ。すばらしい」と言う。

妻は「スペンサー・トレイシーの映画の方がよかったわ」と皮肉まじりに答える。夫が若い女性と親しく話しているので、嫉妬したのだ。妻は、今も夫を熱烈に愛している。

72歳のヘレン・ミレンと82歳のドナルド・サーランドが老夫婦を演じた「ロング・ロングバケーション」(2017年)は、結末が予測できるものの見ていて楽しい映画だった。

おまけにヘミングウェイ博物館を見ることもできたし、ヘミングウェイ博物館の猫たちもスクリーンに登場し、「ここの猫は指が六本あるのよ」というセリフも出てきた。

映画を見た後、強烈に「老人と海」を読みたくなり、僕は書棚を探した。薄い文庫本である。昔は活字が小さく100ページくらいしかなかったが、現在の新潮文庫版は140ページほどある。

映画の中で引用されたように、ラストのフレーズは「老人はライオンの夢を見ていた」だった。冒頭で老人の容貌を描写するフレーズも映画で引用されていたが、確かに印象に残る文章である。

僕が「老人と海」を読んだのは高校生のとき、たぶん17か18の頃である。テレビで放映された(「日曜洋画劇場」だったかな)スペンサー・トレイシーが老漁師を演じた「老人と海」を見て、原作が読みたくなったのだ。

それまで、僕はヘミングウェイの代表的な短編と「武器よさらば」しか読んだことはなかった。クラーク・ゲイブルとイングリッド・バーグマンの映画で有名な「誰が為に鐘は鳴る」も読んではいなかった。

「ロング・ロングバケーション」でヘレン・ミレンが言っていたけれど、映画版「老人と海」は名作である。主要人物は老人の漁師と彼を手伝う少年だけ。その少年も最初と最後にしか登場しない。

ずっと不漁続きだった老人が小舟で漁に出て過ごす四日間の物語だから、海と小舟と老人のシーンばかり続くことになる。ひとりで漁に出た日、老人の釣り竿に巨大なカジキマグロがかかるのだ。

しかし、簡単には釣り上げられない。小舟だから、巨大な魚に引きづられ沖へ出てしまう。老人は、魚が弱るのを待つ。しかし、老人と巨大なカジキマグロの戦いは四日間におよび、空腹と睡魔が老人を襲う。

ようやく、老人は戦いに勝つが、獲物が巨大すぎて小舟には乗らないので、カジキマグロを舟の横にくくりつけて帰途につく。しかし、港に向かう途中、カジキマグロは鮫に襲われ食いちぎられていく。

それだけの物語だから、最初と最後の港のシーン以外は大海原と小舟と老人だけで見せなければならない。ときに巨大な魚が跳ね、釣り糸(ほとんどロープ)を引いたり緩めたりするシーンばかりである。

原作では内面の描写があるが、映画では特にナレーションが入るわけではなかったと思う。当然、スペンサー・トレイシー(アカデミー主演男優賞を二度受賞した)の演技力が要求される。ひとり芝居である。

アーネスト・ヘミングウェイは登場人物たちの行動と会話、そして状況の描写だけで小説を書いた。読者は、登場人物たちの内面を行動と言葉から読みとらなければならない。

その叙述スタイル(非情なスタイルと評された)は「ハードボイルド」と呼ばれたが、その後、ミステリ・ジャンルのダシール・ハメットへとつながり、ある特定のジャンルの物語を指すようになってしまった。

しかし、「老人と海」では老漁師と巨大な魚との戦いを描くわけだから、「お前はおれを殺す気だな、老人は心のうちで思った」という内面を描写する文章を出さざるを得ない。

老人は魚相手に独り言を口にし、「かれは右手で綱をしっかり握りしめ、その上に腿をのせ、全身の重みをへさきの板にゆだねるようにした」という行動描写が臨場感を読む者に与えた。

それまでの作品ではヘミングウェイの「ハードボイルド文体」になじめなかった僕は、初めて「老人と海」を夢中で読んだ。老人の内面が描かれるために、感情移入がしやすかったからだ。

あるいは、映画を先に見たために読んでいて映像が浮かんできたからかもしれないが、その後、「移動祝祭日」「陽はまた昇る」「海流の中の島々」など主だったヘミングウェイの作品を読破し、結局、最高傑作は「老人と海」だという結論に達した。

ちなみに、「ロング・ロングバケーション」の中で、オートキャンプ場で隣に駐車していた一家と老夫婦が話をしているとき、「夫にヘミングウェイの家を見せるの」と妻が言うと、隣の一家の主人が「ヘミングウェイって南軍の将軍?」と聞き返すシーンがある。

男の妻はあわてて「あら、作家よ。確か、自殺したのよね」と言いつくろう。アメリカでも、今ではヘミングウェイはその程度の認知度なのだろうかと僕は思った。まあ、日本でも夏目漱石を知らない人がいるかもしれないけれど----。

ヘミングェイが生まれたのは1899年で、自殺したのは1961年。僕が初めてヘミングウェイを読んだ頃は、ヘミングウェイのショットガン自殺はまだ生々しく語られていた。自殺から数年後、中学の夏休み課題図書がヘミングウェイの短編集だった。

ヘミングウェイがノーベル文学賞を受賞したのは、1954年である。もう65年も前のことになってしまった。ヘミングウェイが死んだ歳より僕は5年も長生きしてしまったのか、と改めて思う。

ひげを生やしたヘミングウェイの写真を初めて見たときは、かなりな老人に思えたが60歳にもなっていなかったのだ。ちなみに六本指の猫を、ヘミングウェイは「幸運を呼ぶ猫」と信じていたらしい。

そのヘミングウェイの猫たちに会うためだけでもキーウエストまでいきたいなあと思っていたら、「ロング・ロングバケーション」で見ることができた。ヘミングウェイが飼っていた2匹の猫の子孫は、今では50匹以上になっているらしい。


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