日々の泡[021]少女マンガの繊細さに打たれる【河よりも長くゆるやかに/吉田秋生】
── 十河 進 ──

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35歳で自殺した鷺沢萠(さぎさわ・めぐむ)は、1987年(昭和62年)に第64回文學界新人賞を「川べりの道」で受賞した。まだ19歳の女子学生だった。その作品は、朝日新聞の文芸時評で取り上げられたと思う。その中に「マンガが文学作品に影響を与える時代になったのか」という一文があり、それによって僕は初めて吉田秋生(よしだ・あきみ)という名前を知った。

僕がマンガを読まなかったわけではない。子供の頃からたくさんのマンガを読んできたし、高校生の頃に樹村みのり作品を読み少女マンガにも守備範囲を広げた。その後、少女マンガもけっこう読んだのだけれど、吉田秋生のことは知らなかったのだ。吉田秋生は1983年に「河よりも長くゆるやかに」と「吉祥天女」で小学館漫画賞を受賞していた。それは彼女のふたつの作品系列を代表するものだった。





朝日新聞の文芸時評では「川べりの道」は「河よりも長くゆるやかに」の影響を受けているのではないかと指摘していたのだった。しかし、そのことを否定的に書いていたわけではない。僕だってマンガからは多大な影響を受けた。僕よりも17歳も若い鷺沢萠が、少女マンガの影響を受けていたとしても当然のことだ。僕は文學界新人賞受賞作品に影響を与えたという吉田秋生の作品に俄然興味を惹かれたのである。

なぜかというと、当時、30半ばだった僕は「文學界新人賞」に応募していたからだった。30過ぎて初めて応募したのだが、一次選考を通り、70数編の候補作の中に残り、作品名と名前と居住地だけは掲載された。「川べりの道」受賞のときに僕も応募していたかどうかは忘れたけれど、結局、僕は三度応募して、すべて一次選考通過で終わった。だから、19歳の少女の作品に興味を抱き、その作品に影響を与えたといわれるマンガを読んでみたくなったのだ。

「河よりも長くゆるやかに」は、マンガでしか描けない青春物語だった。僕は、さらに「吉祥天女」を読み、ずいぶん幅の広い作品を描く人だと思った。「夜叉」も「吉祥天女」の系列に入るだろう。人気の高い「BANANA FISH」は、まるでハリウッド映画だった。僕は、どちらかと言えば「河よりも長くゆるやかに」「櫻の園」「海街diary」と続く、日常を繊細に描く作品系列が好きだった。

吉田秋生の作品を読み漁っていた頃、映画化された「櫻の園」(1990年)が公開された。翌年、ほとんどの映画賞を受賞する勢いだった。監督は中原俊。日活ロマンポルノを中心に活躍していた人だったが、「櫻の園」で一躍注目された。「櫻の園」は少女たちの繊細な心の動きを描き出し、映画評論家たちに絶賛された。絶賛した人たちは、中年男性が多かった。たぶん、彼らが想像する少女たちのイメージに合致したからではあるまいか。当時、38歳だった僕もそのひとりだった。

冒頭、ある名門女子高校の演劇部二年生の舞台監督が大学生らしいボーイフレンドと部室にいるところから始まる。彼女は前夜から男と一緒だったようだ。そこへ、次々に部員たちが登校してくる。三年生の部長である志水由布子は髪を切った姿で現れ、みんなを驚かせる。志水由布子は「櫻の園」のヒロインを演じる大柄な倉田知世子に憧れていて、いつも彼女を見つめている。

そんなところへ、部員の杉山紀子が前夜に他校の生徒と一緒に喫茶店でタバコを吸っているところを補導され、朝から職員会議で「櫻の園」の上演を中止するかどうかが話し合われているという情報がもたらされる。不良と見られている杉山紀子は部長の志水由布子に憧れていて、いつも彼女の視線の先には志水由布子がいる。この少女たちのほのかな関係が、この映画の何とも言えない切なさを醸し出す。

映画「櫻の園」は原作を映画的に凝縮し、ある名門女子高校の演劇部がチェーホフ作「櫻の園」を上演するまでの数時間が描かれた。しかも、多くの人物を登場させながら、うまく整理されていた。その15年後、是枝裕和監督によって「海街diary」(2015年)が映画化された。「河よりも長くゆるやかに」からずいぶん長い時間が過ぎていたけれど、原作は吉田秋生の日常を描く作品系列の到達点を見せる作品だった。

三人姉妹が暮らす鎌倉の古い家。そこへ腹違いの中学生の妹がやってくる。昔、三人姉妹の父は愛人ができて家を出た。その父が亡くなり、妹を引き取ったのだ。三十代の看護師の長女、二十代らしい信用組合に勤める次女、二十歳前後らしいスポーツ店に勤める三女、それに中学生の四女が加わり、まるで現代版「細雪」である。

それぞれの恋や悩みなどが描かれるが、すべては日常の中で淡々と過ぎていく。人々が物語に感情移入し共感するのは、「ああ、そうだよなあ、と身につまされる話」か「あんな風になりたい、と憧れる夢のような話」だとすれば、是枝監督作品は「ああ、そうだよなあ、と身につまされる話」の代表的なものだと思う。「海街diary」も観客が日常的に出会うような出来事が描かれていく。

「海街diary」の登場人物たちは、誰もが「自分が相手を傷つけたかもしれない」と思いながら生きている。だから、人間関係の描写が繊細なのだ。不倫相手である鬱病の妻と別居している医者と長女の会話、エリート銀行員から地方の金融機関に転職してきた課長と次女が交わす会話、三女が妹と交わす死んだ父についての会話、そして父親の不倫相手の子である四女と長女が交わす会話----それらからは、人々の繊細さと優しい心が浮かび上がってくる。

それは、今や是枝作品には欠かせない役者となったリリー・フランキーによって発せられるラスト近くのセリフ「すずちゃん、お父さんのこと知りたくなったら、こそっと聞きにおいで」という囁きに象徴されている。こんなに心穏やかになる作品はめったにないし、それは吉田秋生の原作に負うところが大きい。「河よりも長くゆるやかに」があったから、ここまで到達したのだろう。吉田秋生の人間に対する深い洞察眼を感じる。

それにしても、鷺沢萠の自殺のニュースを聞いたときの衝撃は今も忘れていない。人が自殺する理由なんて想像できるはずもないけれど、鷺沢萠の自殺を知ったとき、最初に思い浮かんだのが「河よりも長くゆるやかに」だった。彼女自身が自作の「川べりの道」への影響を認めていたのかどうかは、未だに調べてはいないけれど----。


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