1967年秋、注目の新人作家・五木寛之の作品集4冊「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」「海を見ていたジョニー」「青年は荒野をめざす」を新聞部のTから譲り受けた僕は、すっかり五木ワールドにはまっていた。Tが言った「五木の話は、どれも徒労に終わるものばかりだ」という意味も、何となくニュアンスを理解できるようになった。
つまり、五木寛之が書くものはハッピーエンドではなく、物語の中で主人公は何かを目的に動いているのだが、結局は裏切られるか、予期せぬことによって挫折してしまうか、主人公の努力は無意味だったという終わり方が多かったのだ。「海を見ていたジョニー」のように悲劇的な結末を迎えるものもあった。
多少、明るい終わり方は「青年は荒野をめざす」だった。ジャズ・トランペット奏者をめざす若き主人公は、ナホトカ航路に乗ってソ連に渡り、シベリア鉄道で北欧へ抜ける。その間に様々なエピソードがあり、女性との出会いと別れがある。ラストは、主人公が新しい世界に向かって羽ばたく印象があった。
週刊誌「平凡パンチ」に連載された「青年は荒野をめざす」は、若者たちの支持を集め、人気グループだったフォーク・クルセダーズが歌う「青年は荒野をめざす」がレコード発売された。僕は、今でも「ひとりでゆくんだ。幸せに背を向けて」と始まる、その歌が歌える。
年が明け、1968年の3月、僕は「さらばモスクワ愚連隊」が加山雄三主演で映画化され、東宝系で公開されることを知った。加山雄三と言えば、若大将である。その年の正月に公開された「ゴー!ゴー!若大将」を、僕は友人と一緒に見たばかりだった。
僕は高校1年で16歳、春休みが終わると2年に進級する予定だった。翌年の1969年になると、東大闘争における学生たちと機動隊員たちの安田講堂攻防戦をテレビ中継で見た高校生たちは刺激を受け、全国で高校紛争が巻き起こるのだけれど、その年の春休みはまだ平和な時代だった。
「さらばモスクワ愚連隊」は「めぐりあい」という映画との二本立てで、田町商店街にあった高松東宝で公開された。僕は期待感を抱いて映画館に入った。「さらばモスクワ愚連隊」が先の上映だった。五木寛之の小説を読んで僕はジャズに興味を持っていたが、ちゃんとしたジャズを聴いたことはなかった。
ジャズの熱心なリスナーになった今から思うと残念なことに、当時の日本のトップジャズメンが「さらばモスクワ愚連隊」で演奏していたのに僕は何も憶えていないのだ。伝説の富樫雅彦のプレイシーンだってあった。なのに、僕にはまったく記憶がないのである。
主人公は元ジャズ・ピアニストのプロモーターだから、ジャズ・セッションのシーンがあったのは憶えている。しかし、おぼろげな印象しか残っていない。それは、「さらばモスクワ愚連隊」の後に見た「めぐりあい」が僕に強い印象を残したからだ。
その後何度も見たからではなく、「めぐりあい」についてはどのシーンもよく記憶していた。最初の出会い、再会、初めてのデート、トラックに乗って海へのドライブ、土砂降りの雨の中、トラックの荷台でのくちづけ、すべてが僕の脳裏に刻み込まれた。
「めぐりあい」は、酒井和歌子初主演作品だった。それまで、テレビの風邪薬のCMで見て「かわいいな」とは思っていたが、「めぐりあい」で僕は胸を撃ち抜かれてしまったのだった。相手役の黒沢年男は何となく毛深いイメージであまり好きではなかったが、酒井和歌子の魅力で僕にとって「めぐりあい」は名作になった。
監督は恩地日出男。タイトルが始まると、川崎の工場地帯が映し出され、荒木一郎が「めぐりあえる その日までは」と歌い始める。満員電車、駅を降りる人々。足早に歩く酒井和歌子。人々の群を縫って走る黒沢年男。タイトルクレジットが終わると、すぐにふたりの出会いがある。
江藤努と今井典子。再会したふたりは定期券を見せ合い、互いに相手の名前を「平凡だ」と言う。努は典子を「テンコ」と読み、ずっとその呼び方を通す。努は自動車工場の工員、典子はベアリング卸商の店員である。60年代半ばの青春。貧しいけれど、漠然とした希望はあった。
「めぐりあい」の中では、大学進学がひとつのテーマになっていた。努の家は父親が定年を迎え、高校三年の弟と中学生くらいの妹がいる。弟のヒロシ(黒沢年男の実弟の博がこの映画でデビュー)は、強く大学進学を望んでいる。
努は父親が定年になると一家の生活がすべて自分にかかってくると怖れていて、ヒロシには「弟が大学行くからといって月給上げてくれねぇんだ」と言い喧嘩になるが、「俺も『大学いかせてくれ』って泣いたんだ」と口にする。
典子の家は父親が死んで長いが、笑いが絶えない明るい家庭だ。母(森光子)は保険の外交員で、野球をやっている高校生の弟(池田秀一)も新聞配達をしている。だが、父の弟(有島一郎)が母に結婚を申し込んだことから、典子は母と叔父に対して蟠りを抱く。
そんなふたりが海にドライブするシーンが印象に残る。自動車修理工場で働く友人に車を借りにいく努。カッコいいスポーツカーに身を寄せるが、「それは今日納車だ」という友人。次のシーンは運転する努と助手席で笑う典子。カメラが引くと4トントラックである。
この後、真っ白のワンピースの水着に着替えた酒井和歌子が登場するというサービスシーンがあり、あることで仲違いしたふたりの帰途シーンになる。土砂降りなのに、典子はトラックの荷台に乗っている。努が「前へこいよ」と言ってもきかない。
努はトラックを止め荷台を上げる。斜めになった荷台から降りられない典子を残し、努は去ろうとするが駆け戻る。斜めになった荷台を登ろうとしても、土砂降りの雨で滑ってしまう。ようやく典子を荷台の下までおろしたとき、ふたりは初めてくちづけをする。
この映画を見たとき、僕はまだ女性の手にも触れたことがなく、ましてくちづけなどしたこともなかったから、「めぐりあい」のくちづけシーンは自分自身の初めてのくちづけのような気がする。あれから52年、今もテレビで酒井和歌子を見かけると胸がときめいてしまうのだ。
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