日々の泡[030]古井由吉さん追悼【古井由吉/哀原】
── 十河 進 ──

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古井由吉さんが亡くなった。八十二歳だった。僕が初めて古井作品を読んだのは浪人生のときだった。十八である。「先導獣の話」という小説ともエッセイともつかない、不思議な文章だった。

ただ、その短編を読んでいる間、まったく別の時空間に連れていかれていたような気がした。本を読んでいるという現実感が消滅し、その文章の世界に完全に誘い込まれた。読み終わったときには、ハッと夢から覚めた気がしたものだ。

それから第一作品集「円陣を組む女たち」を読み、続いて「男たちの円居」を読んだ。「円居」を「まどい」と読むのだと知った。大学一年になったとき、「杳子/妻隠」が芥川賞を受賞した。「妻隠」を「つまごみ」と読ませるのだと知った。





それ以来、「仮往生伝試文」まではエッセイ集や対談本を含め、欠かさず単行本を買っていたが、その後は気になったものだけを買うようになった。「仮往生伝試文」についていけなかったからだ。その後も「陽気な夜まわり」や「野川」などを購入した。

しかし、「仮往生伝試文」まではすべて完読し、何度も読み返し、文庫本が出たらそれも買った。僕が気に入っていた処女長編「行隠れ」は単行本で読み、文庫版で読み、河出版「古井由吉作品集」で読んだ。文庫版で大幅に削除訂正されていたからだ。

ということから、僕の書棚には同じ作品が単行本、文庫本、作品集と揃っている。河出版作品集は全七巻で、七巻めのエッセイ編が刊行されたのは一九八三年のこと。六巻までが小説で「親」「椋鳥」などが最新の作品だった。

僕は作品社から出た「古井由吉エッセイ集」全三巻も揃えていて、その一巻めの見返しには、古井さんのサインが入っている。作品社は文芸誌「作品」を刊行し、その創刊号から休刊号までに「槿」が連載されており、僕はその「作品」全巻も持っていた。

古井さんは河出書房にいた編集者の寺田博さんと親しく、寺田さんが作品社を立ち上げた後、依頼されて「槿」を連載したのだろう。その後、寺田さんは福武書店(現ベネッセ)に移り、文芸誌「海燕」を立ち上げ「槿」の連載を再開した。

そのように一九七〇年代から八〇年代にかけて二十年以上、僕は熱烈な古井由吉ファンだった。試みに「古井由吉論」を三十枚ほどでまとめたこともある。その濃密な文章の魅力にとらわれていたのである。

さて、以前にも書いたけれどエッセイ集の見返しにサインが入っているのは、当時、月刊「小型映画」編集部で机を並べていたH女史が「杳子」の映画化を企画し、制作者として古井さんと知り合いだったからである。彼女に頼んでサインをもらったのだ。

彼女は、当時「自主映画の母」などと呼ばれる存在だった。十六ミリで「杳子」(1977年)を映画化し、「ぴあシネマブティック」として科学技術館地下ホールで公開した。「杳子」の姉の役は山口小夜子。杳子の姉も精神を病んだキャラクターだった。

古井さんの作品は映像化するのが困難だが、初期のものなら可能かもしれない。そう思ったのは、神代辰巳監督である。当時、古井作品としてはかなり評判になった「櫛の火」が神代監督によって東宝で映画化(1975年)されたのである。

主人公は、美青年で人気抜群だった草刈正雄だ。最初の方で死んでしまう大学時代の恋人は、桃井かおり。主人公が後に知り合う人妻を、ジャネット八田(後に阪神の田淵と結婚した)が演じている。けっこうハードなセックスシーンもこなしていた。

しかし、映画「櫛の火」は撮影監督の姫田さんの証言によると「試写では全員が傑作だと思ったが、併映作品との関係で二十分もカットされて、わけがわからないものになった」という。併映は、蔵原惟繕監督の「雨のアムステルダム」。神代監督は蔵原監督の助監督出身で、師匠に「あんたの方をカットしろ」と言えなかったらしい。

それでも、原作を何度も読んでいたせいか、僕にはおもしろい映画だった。神代監督独特の曖昧な描写が、「内向の世代・朦朧派」と揶揄された古井さんの世界に合致したからだ。ちなみに題名は古典に精通している古井さんらしく、「古事記」に出てくる神話から採っている。

古井作品を読み込んだおかげで、僕も古典を読むようになった。古井作品に突然出てくる文章が「梁塵秘抄」だったり、「平家物語」だったりするからだ。「仏はつねにいませども」とか「遊びをせむとて生まれけむ」といった「今様」もよく出てきた。

しかし、僕が最も影響を受けたのは、古井作品の冒頭の一行であり、その後の展開方法だった。たとえば「行隠」の冒頭は、「その日のうちに、姉はこの世の人ではなかった」という一文である。しかし、実際に姉の自殺がわかるのは、ずっと後半になる。

古井作品の中でも、僕が特別に忘れられないのは短編「哀原」だ。冒頭の一頁をまるまる引用したいくらいだ。とりあえず冒頭の一行は「原っぱにいたよ、風に吹かれていた、年甲斐もない、と友人はおかしそうにいう」と始まる。

そして、幻想的な光景が語られるのだが、三番目の段落で「夢だったのだろうね、と私は毎度なかば相槌のような口調で答える」と、初めて語り手が「私」として出てくるのだ。この手法で、僕は初めてまともな短編を仕上げることができた。三十のときだった。

自分でも古井作品の影響がもろに出てるなと思ったが、それを「文學界」新人賞に応募して一次選考を通過し、作品タイトルと名前と住居地が載ったときには舞い上がるほどうれしかった。タイトルも古井さんの影響を受けていて、「橋姫」と付けた。


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