日々の泡[041]ミステリ界の詩人?【幻の女/ウィリアム・アイリッシュ】
── 十河 進 ──

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先日、「週刊現代」の「酒井和歌子に夢中になった時代」という特集について書いたけれど、その記事の中に僕の「酒井和歌子さんが悪女を演じた二時間ドラマ」についてのコメントが採用されていた。二十分ほどの電話取材だったが、そのことが取り上げられるとは思わなかった。

その二時間ドラマについて話した後、ネットの「テレビドラマ・ベータべース」で調べてみたら、「仮面の花嫁」(1981年3月14日放映)というタイトルだった。酒井和歌子と愛川欽也の共演で、監督が神代辰巳だったのは記憶していた。原作はウィリアム・アイリッシュの「暗闇へのワルツ」だ。





この二時間ドラマは酒井和歌子が出ていたので予備知識もなく見始めたのだけれど、始まってすぐに「これ、『暗闇へのワルツ』だぞ」と気が付いた。その十二年前には、フランソワ・トリュフォー監督によって「暗くなるまでこの恋を」(1969年)として映画化されたミステリだ。

トリュフォー監督は、ウィリアム・アイリッシュ(別名コーネル・ウールリッチ)のミステリが好きなのだろうか。「黒衣の花嫁」(1968年)に続いての映画化である。「黒衣の花嫁」はジャンヌ・モロー主演で、タイトルからも想像できるように、男たちに復讐を果たしていく女の物語だった。

「暗くなるまでこの恋を」(何という邦題だろう)は、ジャン=ポール・ベルモンドとカトリーヌ・ドヌーヴの共演である。南米で成功した農園主はピクチャー・ブライドで本国から花嫁を迎えるが、やってきたのは絶世の美女。女の虜になった農園主は破滅に向かい、やがて犯罪さえ犯すことになる。

カトリーヌ・ドヌーヴが演じた怪しく謎めいた悪女は魅力的ではあったけれど、心底からの悪人で悪魔的だった。二〇〇一年にはアンジェリーナ・ジョリーが同じ原作を「ポアゾン」として映画化し、あの大きな目でゾクリとさせる悪女を演じた。相手役は、ラテン系セクシー男優と言われたスペイン出身のアントニオ・バンデラスだった。

ドヌーヴが演じた悪女を二時間ドラマでやっている酒井和歌子に、僕はひどく戸惑ったものだ。すでに三十をいくつか過ぎた酒井和歌子だったが、僕は彼女を見るとまだ「清純」「清楚」といった文字が頭に思い浮かぶのだった。ただし、相手役の愛川欣也は、女に溺れて犯罪者になっていく気の弱い男の役には向いていた。

「テレビドラマ・ベータべース」で調べて初めて知ったのだけれど、酒井和歌子は神代辰巳監督と組んで「悪女の仮面」(1980年)「愛の牢獄」(1984年)「死角関係」(1987年)「函館殺人夜景」(1990年)といった二時間のミステリドラマを作っているらしい。この時期(要するに彼女の三十代)、悪女ものに傾倒していたのだろうか。

さて、カトリーヌ・ドヌーヴ、酒井和歌子、アンジェリーナ・ジョリーとフランス、日本、アメリカのトップ女優によって何度も映像化されるのだから、「暗闇へのワルツ」は人気のあるミステリなのだろう。昔は早川ポケットミステリで出ていて、けっこう分厚い作品だった。アメリカで出版されたのは一九四七年のことだ。

だが、ウィリアム・アイリッシュの代表作といえば「幻の女」である。世界のミステリ・オールタイムベストテンが選ばれるとき、エラリィ・クイーン「Yの悲劇」、アガサ・クリスティ「アクロイド殺し」「ABC殺人事件」、ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」などと並び必ず挙げられる古典的名作である。

初めて「幻の女」の日本語訳が出たとき、その冒頭の一行が話題になったという。「夜は若く、彼もまた若かった」というフレーズだ。アイリッシュは「ミステリ界の詩人」のように受け取られたのだろうか。ロマンチックでセンチメンタル、謳うようなフレーズが散りばめられている。もっとも、「幻の女」は意外な犯人で有名な作品だ。

「幻の女」を読む前、たぶん中学生の頃だと思うが、僕はNHKが「幻の女」を単発ドラマにしたのを見たことがある。妻が殺され、夫が逮捕される。夫は、死刑を宣告される。夫の愛人(だったか秘書だったか)が夫の友人と一緒に探偵役となり、唯一のアリバイ証人である「幻の女」を捜す。だが、死刑の日は刻々と迫ってくる。

物語を単純に要約するとそうなるのだが、夫の友人を若き山崎努が演じていた記憶がある。その他のキャストはすっかり忘れたが、刑事役で内田稔が出ていたのはなぜかよく憶えている。たぶん、最後のドンデン返しのシーンに内田稔が(確か車のトランクから)飛び出してきたとき、びっくりした僕は画面そのものを絵画のように記憶したのだ。

もっとも、その頃、僕はよく見る脇役俳優だとは思っていたが、「内田稔」という名前を知るのはずっと後のこと。好きな俳優で、映画やテレビにいっぱい出ていた。今、記憶を探ると薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」(1984年)での劇団マネージャー役が浮かぶ。記者会見シーンでは、薬師丸を挟んで並んだ気難しげな演出家役の蜷川幸雄とは好対照だった。

その内田稔によって犯人が明かされると僕は本当にびっくりしたから、「幻の女」を初めて読んだときには「こいつが犯人なんだ」とわかっていたので、ミステリとしてのおもしろさはあまり感じなかった。妻が殺された時刻、夫は行きずりの女と一緒に酒を飲み舞台を見ていた。その目立つ帽子をかぶった女を誰も記憶していない、という不自然さの方が僕は気になったものだ。

それでも、やはり「幻の女(ファントム・レディ)」はミステリの名作だと思う。その後、似たような設定やトリックは山のように現れただろうが、最初に書いたのはウィリアム・アイリッシュだったのだ。原作が出て二年後にハリウッドで映画化された「幻の女」(1944年)を、つい最近、見ることができた。当時のニューヨークの雰囲気がよく分ったし、ジャズの演奏シーンも楽しめた。

ただ、どうして原作をズタズタにして、まったく違うものにしてしまったのだろう。原作のプロットでは、観客には理解できないと考えたのだろうか。早々に真犯人をバラしてしまうし、何のために「幻の女」を映画化したのかわからない。「幻の女」の存在を解明しないと観客は満足しないと考えたのだろうなあ。それにしても、ひどい。ウィリアム・アイリッシュは、たぶん納得しなかっただろう。

週刊現代 2020年8月8日・15日号
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