万年思春期[01]はて、良い絵とは?
── 木村きこり ──

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先日、東京国立近代美術館に足を運んだ。「ピーター・ドイグ」展を観るためだ。ドイグの絵は受験生の頃から知ってはいたが、実物を観るのは初めてだった。人からは「思った以上に薄塗りだよ」と聞いていて、個人的に厚塗りが好きな私としては、画面構成・形の取り方の面白さをメインに観ようかな、などと生意気なことを思っていた。

展覧会場に入った瞬間、その考えは打ち砕かれた。ドイグの絵は厚塗りだったわけではない。むしろ薄塗りの方だと思う。しかし、画面構成として絵の具の厚いところと、薄いところの差がとてつもなくカッコよく、見た瞬間、身体がしびれた。そして、しばらく茫然とした後、私の長年の悩みが顔を見せた。それは「良い絵とはなにか」ということだ。





「木村さんは良い絵を描くけど、絵は下手だね」とよく言われる。まぁ、絵が下手なのは嫌でも分かる。掃いて捨てるほど、私の周りの作家は絵がうまいからだ。「ほら、あなたには情熱があるから……」などと、後でフォローされることもある(フォローになっていないが)。

その時に直面する他の作家の、見下してくる態度に昔はよく腹は立てていたが、今はあまり腹が立たない。なぜなら、「下手だ」と言ってくる自他ともに「上手い」作家の絵を、私が良いと思わないからだ。

絵の具の使い方、写実的描写力、挙げればきりがないが、彼らにはテクニックはすごくある。ただ、テクニックが先に見えてしまっているのが、どうも好きになれないのだ。きっと、伝えたいことは作家たちには多くあるはずだ。だからこそ、テクニックは伝えるための道具にすぎない。もったいないなと思うが、彼らよりテクニックがなくて、伝えたいことの半分も伝えられていない私は何も言えない。

そもそも「良い絵」とはどんなものだろうと考えた時、人によって考え方は変わってくると思う。私にとって「良い絵」とは何か? 考えれば考えるほど沼にはまっていく。

ドイグや彼が参考にしているという近代絵画の巨匠たちも、こんなことを考えていたのだろうか? それとも、自分にとっての絵画への考えをさっさと確立させてしまったのだろうか? そんなことをぼんやり思いながら会場を後にした。

今、私は絵画に対してスランプとも言える状態だ。原因は人間関係から来るストレスからだろう。弱いなと自分でも思う。ここから一刻も早く抜け出したいと前は焦ってもいたのだが、今は少し違う。苦手なテクニックを克服しながら、描きたい絵をまずは描いていこうと思っている。

馬鹿にしていたやつらを見返すためにも、地道に一歩ずつ進んでいきたい。そして、いつか、進化したと思われるぐらい上手くて「良い絵」を描けるようになれたならと考えている。

ピーター・ドイグ展
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/peterdoig/

会期:2月26日〜10月11日(日)
会場:東京国立近代美術館


【木村きこり】
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