万年思春期[004]4話目「青いバナナ」
── 木村きこり ──

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季節も移り変わり、吐く息も白くなった12月。今年ももう終わりかと思うと、なんだかセンチメンタルな気分になる。今年は何だかんだ色んなことがあった。

漫画の連載が終わって2巻目を出したり、コロナ禍で馴染みの人と縁を切られたり切ったり、新しい人と出会ったり。こうしてデジクリの一員として呼ばれ、文章を書くなんて去年では考えられないことだ。人生って何があるか本当に分からない。

そんな時に思い出すのだ、小さい頃にあった恥ずかしい出来事を。





もともと私は、小さい頃から絵は描いていた子供だった。というのも、語学の発達が人よりとても遅く(3歳ぐらいまでまともにしゃべることが出来なかった)、食べたい物や伝えたいことを、画用紙にクレヨンで描いて親とコミュニケーションをとっていたらしい。

なんとか言葉で話ができるようになると、そのようなことはなくなったらしいが、あまり話すことが得意な子供ではなかったのは確かだ(今も得意ではない)。

5歳になると幼稚園に入れられ、何人か友達は出来たが基本的に暗い子だった。まず、先生との相性が悪かった。今思えば扱いにくい子供だったのだろう。先生のあたりがほかの子よりきつかった気がする。そんな時ある出来事が起こる。

その日、幼稚園では紙粘土で子供達に立体物を作らせていた。私はよほど食い意地の張っていた子供だったのだろう、そこで「バナナ」を作ろうとしていた。しかも黄色いバナナではなく、青みがかった「若いバナナ」である。

なぜそんなことを思ったのかはもう忘れてしまったが、なんとか細長い立体はできていた。そんな時だ、やんちゃでいわゆる「いじめっ子」の男の子が私のところに走ってきてその「バナナ」を投げて壊してしまった。

びっくりした私はなんとかその「バナナ」を取り返して、また形を整えようとしたが、先生は「もう時間だよ」と言い私の半壊のバナナを取り上げてしまった。その形は投げられた衝撃で丸まってしまって、とても「バナナ」とはほど遠かった。

次の日は、乾いたその紙粘土に色を塗る作業だった。私はあの「若いバナナ」の色だけは再現しようと思い、緑色を出して塗っていた。しかし、思い通りのグラデーションに塗ることは出来ず、また時間が来てその作品は「完成」させられてしまった。問題はその後だ。その完成させられた「若いバナナ」を、保護者が集まる会で展示させられてしまったのだ。

母親は私の作品を見た時「これは何?」と聞いた。私が「バナナ」と答えると、まわりの親御さんは笑いをかみしめそっぽを向いた。母親は苦笑いをしながらうつむいていた。その光景は今でも思い出す。思い出しても本当に情けない気持ちになる。

そんな時子供心に思ったのだ。「一番出来なかったものが出来るようになったなら、皆を見返せるのではないか」と。

おそらく親も、私の絵の下手さにまずいと思ったのだろう。私は幼稚園の施設を借りて行われていた「お絵かき教室」に通うことになった。そこで絵を描く楽しさや喜びを少しは知ることができたが、それはまた別の話だ。

今思えば、あの時の恥ずかしい思い出が、私の原点になっている気がする。絵や漫画は下手なままだが、何とかお金をたまに貰うラインにはどうにか立てた。だが、まだまだだ。

来年はどんな年になるのだろう。少しの不安と期待を込めて、今日も仕事をしようと思う。


【木村きこり】
漫画家/美術家
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