万年思春期[008]8話目「作品と作者」
── 木村きこり ──

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実は今月の10日から、「gallery美の舎」という根津にあるギャラリーにて、私は作品を5点、展示させて頂いている。「portrait」展と名付けられたそのグループ展で、私(木村有輝子)を含めた10人の作家が、各々「portrait」について考え描いた意欲作を出している。

http://binosha.jp/exhibition.html


会期は20日まで。絵が売れてほしいと思う気持ちがないわけではないが、何とか展示までに作品を仕上げられたことに、今は胸をなでおろしている。

そんな中、初日に友達が来ると連絡があり、久々に会いたいと思ったのでギャラリーに在廊させてもらった。友達が去った後、ギャラリーでボーッとしていると、今回の展示に参加されている作家の方が一人いらした。





奥からオーナーさんが出てきて、私の絵の前で「この絵を描いた方なんですよ」と紹介して下さったのだが、そこでまた、いつも言われる言葉を聞かされてしまった。

「作品と作者のイメージが違いますね」

色んな人から言われる言葉の一つに、「作品から受ける印象と作者の印象が違う」がある。作品だけを見た人が私のことを想像すると、「髪の毛をトサカに刈り上げピンクに染めた人」などを連想するらしい。要は「パンクな人」だ。

しかし私自身といえば、髪の毛は黒いし、お洒落でありたいと思って服などは選んでいるが、パンクファッションにはあまり興味がないため、そのような服は着ない。だからなのだろうか、絵とイメージが違うと言われる。

だが、絵を描くに至ってもパンクを意識しているわけではない。漫画作品についても、そう思われることが多い。持病である統合失調症についてのエッセイ漫画が出版されているが、知り合いが初めて読む時、「こんな絵柄だとは思わなかった!」と、よくびっくりされる。私はそのような言葉がなんだか腑に落ちない。

だいたい、作品と作者のイメージが合致するとは、どのようなことなのだろうか。そもそも合致させることは難しいと思うし、そうあるべきだとも思わない。人間の中身と外見が違うように、人と人の考え方が違うように、表現は多様だと思うからだ。

作品を創る上での考えや哲学が、外見と合わないことだってよくあることだろう。しかし、人は色んなことを好き勝手に言う。それは仕方がないことだと分かっているのだが、なんだかそのことにムカムカしてしまう。器が小さいと、自分でも思う。

きっとこれから自分の表現を突き詰めていくほど、私自身から受けるイメージと作品は乖離していくのだろう。それでも模索しながら向上心を持ち、前を向いて進んでいくしかない。

その時に何と言われようと、私は私の表現でもって出来た作品を大切にしていきたい。「あなたから受けるイメージと違う」と言われようとも。そんな自戒を込めて、今日も作品を創っていこうと思いながら、ワープロを打つ朝なのでした。それではまた。


【木村きこり】漫画家/美術家
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