万年思春期[001]1話目「恋の寿命」
── 木村きこり ──

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「恋に恋するお年頃」とはよくいったものだ。私が初めてその言葉を聞いたのは高校の時、とある女子グループがある女の子のことを皮肉って言っていた言葉だ。「あの子はよく人のことを好きになる。でも本当にその人のことが好きなわけではないんだろうね、恋に恋をしているだけだよ」と。

その時耳に入った言葉は「皆マセてるなぁ。全然気持ちが分からないや」との感想を私に持たせ、すぐ消えていった。だが、それから月日を重ね生きていると、なんとなく皮肉を言った子の気持ちが分かってくるようになった。それは私が叶わない恋などをして、苦しんでいる時だ。

私の場合、人を好きになると頭の中がその人の情報で8割方を占め、いつも気になって仕方がなくなってしまう。しかも彼氏、彼女がいる人間を一目ぼれという形で好きになるから叶ったことが一度もない。





恋愛の話をすると、たいてい相手から「面食いだね」と言われる。そうなのだ。顔が良くて性格は悪いが憎めない相手を、いつも好きになってしまうのだ。いま冷静になって考えると、叶わなくてよかったと思うほどだ。しかし、この恋愛のネタでマンガの仕事を何度かしたことがあるので、彼らにはある意味、感謝している。

学生の頃、私はよく恋愛の相談を人から受けた。相談と言っても私からは何も言えず、相手ののろけ話を永遠に聞くという感じだ。だが、それはそれで楽しかった。共感できるところもあったし、そこから派生して色んな子の考えを聞くことは、勉強になるところもあった。

そして先日、また学生の頃の友人と会い、居酒屋で恋の話をした。彼女は「失恋から最近やっと立ち直ってきたよ。相手のことを考えなくなるのに、だいたい三年かかった」と言う。

人によっては長いと思うかもしれない。しかし、なんだかんだ時間はかかるものだよなと、私は思った。その子の恋に寿命があるとしたら、それは三年だったのだろう。そして、そこでふと考えた。「アートやマンガ」に、私は「恋」をしているのだろうか、と。


私は自分で、表現の幅が少ない人間だと思っている。マンガやアートなどを作っていると、それぞれの表現に向いている媒体があることを強く認識し、うまく使いこなせてないことをいつも痛感する。そして作品を作る時は、いつもドキドキしている。

しかし、それは「恋」をしている時のドキドキと少し違うのだ。むしろ、何かと戦っている時のドキドキなのだ。この作品を仕上げないと、私の心の中の何かが死ぬ。それはとても恐ろしいことだ、と。

だが、他人の作品を観る時は違う。良いと思う作品や空間に出会うと、「恋」に近いドキドキが始まる。「よくこんなに繊細で細かい作業をしてるな。どんな思いで作ったんだろう」とか、「すごくダイナミックだ。私にはこんなことはできない」など。

様々な思いで頭の中がいっぱいになるのだ。あげくの果てには、恋に恋をするように自分なりに摸写まで始めてみたりする。だがそうなると、やっぱり違うドキドキになってしまうのだ。

恋に寿命があるとしたら、その長さはやはり相手によるのだろうなと思う。人間か、作品か、はたまた作品を作った作者の考えか。恋に落ちるのは恐ろしい。けれどいつの日か、寿命が短い恋ならまたしてみたいものだ。


【木村きこり】
漫画家/美術家
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