日々の泡[43]柴田錬三郎と市川雷蔵【梅一枝/柴田錬三郎】
── 十河 進 ──

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昨年、市川雷蔵没後五十年というので、WOWOWで「眠狂四郎」シリーズ12本が放映された。九月半ばから十月半ばまで自宅に帰っていた一ヶ月間、その録画を見て過ごした。中村玉緒、藤村志保、久保菜穂子などの顔がちらつく。さすがに市川雷蔵のはまり役だけに、どの作品でも狂四郎は素晴らしい。特に三隅研次が監督した「勝負」「無頼剣」は昔から好きで、何度見たかわからない。

市川雷蔵が死んだ日のことを憶えている。ニュースで、まだ三十七歳だったことを知った。僕は高校三年生で、夏休み直前のことだった。結局、遺作は二月公開の「博徒一代 血祭り不動」(1969年)になった。痩せた体に刺青を施し、気の毒になるような役柄だった。東映の鶴田浩二や高倉健の任侠映画がヒットし、大映も雷蔵にそんな役を与えたのである。

その年、一月に公開されたのが十二作目の「眠狂四郎 悪女狩り」(1969年)だった。もうあまり動けなくなっていたのか、殺陣に生彩がなく雰囲気だけで狂四郎を演じていた。エロチシズムを売りにする部分もあったが、僕の好きな藤村志保はあっさり死に、妖艶な久保菜穂子も悪女役だった。





六〇年代後半、雷蔵は「忍びの者」「陸軍中野学校」「ある殺し屋」「若親分」「眠狂四郎」などのシリーズを持ち、大映の屋台骨を支えていた。一年間で十数本の主演作が公開されたこともある。雷蔵の死後、大映はどんどんジリ貧になり、篠田三郎や松坂慶子、関根恵子などの新人を起用するが、結局、数年後に倒産した。

さて、「眠狂四郎」といえば、シバレンこと柴田錬三郎である。昭和三十年代に相次いで創刊された出版社系週刊誌は、新聞社系週刊誌と違い取材力がないので連載小説やコラムなどの読物でページを埋めた。「眠狂四郎」の連載は「週刊新潮」の部数増に大きく貢献したという。週刊誌連載で小説を読む人々が多くいた時代だったのだ。

僕は中学生の頃から柴田錬三郎にはまり、かなりの作品を読んだ。きっかけはテレビ時代劇「われら九人の戦鬼」を見たからである。1966年1月から半年間、当時のNET(日本教育テレビ・現テレビ朝日)で放映された時代劇で、原作は柴田錬三郎だった。スタッフ・キャストは前作「新選組血風録」と同じだった。

主人公の多門夜八郎は栗塚旭、それに島田順司、左右田一平などが出演した。多門夜八郎は足利将軍のご落胤だが、狂四郎と同じく世をすねたニヒルな浪人で、極悪な領主の元で苦しむ農民たちを助けることになる。夜八郎を慕うヒロインは梨花という名前だったと記憶しているが、演じていたのは高石かつ枝という歌手だった。

「われら九人の戦鬼」にはまった僕は、原作を読んだ。テレビの脚色の方がいいとは思ったけれど、そのまま「孤剣は折れず」「剣は知っていた」「運命峠」「赤い影法師」などの長編を読み、「眠狂四郎」シリーズも読破した。確かに「眠狂四郎」シリーズは独特の魅力に充ちていた。狂四郎にからむ「静香」という女性の名前を未だに憶えている。

柴田錬三郎は「イエスの裔」が芥川賞と直木賞の両方の候補になったように、「三田文学」出身の純文学系の作家だったし、現代を舞台にした小説も多い。現代小説でヒットしたのは小豆相場を描いた「図々しい奴」だが、僕がはまっていた頃には「若くて、悪くて、凄いこいつら」という若者たちを描いた小説が出ていた。

その小説は後に時代小説家・隆慶一郎になるシナリオライター池田一朗によって脚色され、才人監督の中平康によって映画化された。日活映画「若くて、悪くて、凄いこいつら」(1962年)の主演は高橋英樹だった。ドライで(死語か)クールな若者の生態を、中平康独特のシャープな(死語か)カット割りで描いた作品だったけれど、僕はあまり感心しなかった。

同じ1962年、柴田錬三郎の短編を原作にして、珠玉の時代劇が作られている。僕は心が沈んだとき、人間に絶望的になったときなど、その作品を見る。だから、何度見たかわからない。すべての画面、セリフのひとつひとつが記憶に刻み込まれている。まだ、若い市川雷蔵が生き生きと主人公を演じていた。

原作は「梅一枝」という短い小説だ。一種の剣豪小説で、そのタイトルの意味は最後になってわかる。映画はほぼ原作に忠実に描かれるが、タイトルは「斬る」(1962年)と変更された。「梅一枝」では客はこないと判断されたのだろう。監督は三隅研次。原作の端正な文章もいいけれど、それを体現した市川雷蔵はストイックで素晴らしい。

映画は藤村志保演じる奥女中が、藩主の側女を刺殺するシーンから始まる。「方々、乱心ではございませぬぞ」と凛とした顔で、騒ぐ同輩たちを制する藤村志保がいい。続く処刑シーン。藤村志保は、討ち手(天知茂)を見上げて微笑む。白刃が太陽にきらめく。続いて、夜をついて走る駕籠。駕籠の中から赤ん坊の泣き声。無駄のないカット割である。

その赤ん坊は高倉家に預けられて信吾という名で成長し、殿の許しを得て三年の旅に出る。帰藩した信吾は、御前試合で「三弦の構え」という必殺の技を見せて来藩した剣豪に勝ち剣名をあげる。それを妬んだ隣家の父子は「信吾は捨て子だ」と言いふらし藩主にたしなめられるが、それを逆恨みして高倉家を襲い父と妹を殺す。

死に際の父から出生の秘密を聞かされた信吾は隣家の父子を倒して脱藩し、出家している本当の父(天知茂)を訪ねる。その後、信吾は漂泊し、江戸で大目付に仕えることになる。時は幕末。水戸藩は尊皇攘夷派を放置しているというので大目付が叱責に赴き、信吾は護衛としてつき従う。しかし、仏間に入るという理由で腰の大小を預けさせられ、そこへ刺客が現れる。さて、丸腰の信吾はどう切り抜ける? となる。

市川雷蔵には「剣・三部作」と言われる作品がある。「斬る」「剣」(1964年)「剣鬼」(1965年)だが、「剣」は三島由紀夫の短編の映画化だ。ストイシズムの化け物のような大学剣道部の主将を主人公にした現代物である。他の二本は、柴田錬三郎の剣豪物の短編を原作にしている。だから、市川雷蔵と柴田錬三郎は切っても切れない関係なのである。

柴田錬三郎は市川雷蔵の逝去から九年後、1978年6月30日に61歳で亡くなった。関係が深かった集英社は「柴田錬三郎賞」を設け、すでに三十数人の受賞者を出している。吉田修一が「横道世之介」で受賞したり、東野圭吾が「夢幻花」で受賞したり、奥泉光が「雪の階」で受賞したり、性格がよくわからない賞ではある。ちなみに、大沢在昌さんも「パンドラ・アイランド」で受賞している。


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