《何度か顔を見せないと誠意も本気度も伝わらないものだ》
■映画と夜と音楽と...[457]
子に先立たれる親の深い悲しみ
十河 進
■ところのほんとのところ[35]
重慶にて
所幸則 Tokoro Yukinori
■映画と夜と音楽と...[457]
子に先立たれる親の深い悲しみ
十河 進
■ところのほんとのところ[35]
重慶にて
所幸則 Tokoro Yukinori
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■映画と夜と音楽と...[457]
子に先立たれる親の深い悲しみ
十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20100326140200.html
>
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〈殺人者たち/アメリカの影/グロリア/私の中のあなた/ジョンQ─最後の
決断/きみに読む物語〉
●スイッチ特別号の「映画監督ジョン・カサヴェテス特集」
スイッチ・コーポレーションが出していた「スイッチ」という雑誌が好きで、よく買っていた。ロバート・フランクやクリスチャン・サルガドといった写真家の特集もあったし、小説家や映画監督、ミュージシャンの特集もあった。写真家の操上和美さんが大江健三郎さんを、愛媛の森の中で撮影したときの表紙もよく憶えている。その頃の編集長は、新井敏記さんだった。
手狭になるので、雑誌類はある程度たまると整理している。だから、定期誌の「スイッチ」はほとんど残っていない。ただ、時々発行されたワンテーマの別冊は、今も保存してある。その一冊が特別号「映画監督ジョン・カサヴェテス特集[アメリカに曳かれた影]」だ。発行はもう20年前になったが、今も僕の映画関係本の書棚に並んでいる。
ジョン・カサヴェテスという俳優を初めて見たのは、ドン・シーゲル監督作品「殺人者たち」(1964年)だった。黒ずくめのふたりの男(リー・マーヴィンと相棒)が、田舎町の盲学校に押し入る。そこで教師をしていた男は、男たちがやってくるのを受付からの電話で知らされても逃げず、黙ってふたりの殺し屋に射殺される。その教師をジョン・カサヴェテスが演じていた。
原作は、ヘミングウェイの有名な短編「キラーズ」である。最初に「殺人者」(1946年)として映画化されたとき、黙って殺される男を演じたのはバート・ランカスターだった。そのイメージがあったからバート・ランカスターの雰囲気に似た、ジョン・カサヴェテスという俳優を使ったのかと僕は思った。彼は、バート・ランカスターのように男臭い俳優だった。
「殺人者たち」は、その後、殺し屋たちが男がなぜ逃げなかったか不審に思い、真相を探る話だから、回想シーンでのジョン・カサヴェテスの出番はかなり多い。しかし、そんなに有名な俳優ではなかったから、映画好きでも知っている人は少なく、「ローズマリーの赤ちゃん」(1968年)がヒットして、ようやく「ほら、ミア・ファーローの夫役の俳優」と言えば通じるようになった。
そのジョン・カサヴェテスがニューヨーク派のインディペンデント系の映画作家だと知ったのは、大学に入って上京し、アートシアターに通い始めた頃だった。「アメリカの影」(1959年)という初監督作品が高い評価を得ているのだという。僕は「アメリカの影」を見たが、同じ年にゴダールが発表した「勝手にしやがれ」と共通するものを感じた。
肌が白く黒人には見えない娘が白人の男と恋仲になり、ある日、恋人を自宅に連れ帰る。白人の男は紹介された家族が黒人なので驚き戸惑い、しかし、黒人だとわかったからと言って先ほどまで「愛しているよ」と言っていた娘に心変わりするわけにもいかない、といった微妙な心理が伝わってくる。人種問題をこういう風に描く方法もあるのか、と作り手の知性に感心した。
その後、ジョン・カサヴェテスは愛妻であり、同志のようなジーナ・ローランズをヒロインにした作品を何本も撮る。最大のヒット作は「グロリア」(1980年)だ。犯罪組織の会計係の一家が皆殺しになるが、その直前に末の男の子を預かった中年女のグロリアが、嫌々ながらも男の子を守って逃げるサスペンス劇だった。ジョン・カサヴェテスにしては、珍しいアクションものだ。それは、僕にとって忘れられない映画になった。
●ジョンとジーナのアメリカ映画界における最高の遺伝子
その映画を見たとき、ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズというアメリカ映画界における最高の遺伝子は、間違いなく息子に受け継がれたのだと、僕は感慨に耽った。その映画を見ている間、何度も涙が頬を伝った。確かに感動的な話ではあった。しかし、劇中の人物のひとりひとりに思い入れができるから、誰が悪くて誰が正しいという単純な物語ではない。誰もが愛する人のために尽くそうとし、誰かを傷つけている。そんな映画だった。
11歳の少女が、弁護士事務所を訪れるところから物語が始まる。彼女は両親を訴えたいという。自分は生まれたとき(最初は臍帯血の採取)から白血病の姉のために、ドナーとして様々なものを提供してきた。もうすぐ腎臓を片方提供することになっている。でも、わたしはイヤ...と、その賢明そうな少女は太った弁護士(アレック・ボールドウィン)に訴える。
少女アナを演じているのは、大きくなったけれど、あの「リトル・ミス・サンシャイン」(2006年)のコンテストマニアの太ったメガネの少女だった。老優アラン・アーキンにアカデミー賞をもたらせた「リトル・ミス・サンシャイン」は地味だけど、よい映画だった(「映画がなければ...」第三巻259頁「老人たちの終わらない悔い」参照)。
弁護士はアナの治療歴を調べると、ドナーとしての過酷な過去が判明する。彼は仮処分申請を判事に提出する。判事を演じているのは、僕の好きなスリムで背の高いシャクレ顔の女優、ジョーン・キューザックである。彼女も、事故で娘を亡くした経験をしている。厳格な判事ではあるが、その心の傷を垣間見せるシーンがある。子どもに先立たれた親の悲しみが漂う。
アナの母親サラ(キャメロン・ディアス)は長女ケイトを生み、彼女が白血病と判明するまで弁護士をやっていたから判事とは顔なじみである。判事はサラが長年、長女の命を守ることに文字通り命をかけてきたことを知っている。サラは幼いケイトが白血病だとわかったとき、すぐに自分がドナーになると言ったのだが、両親には適合性がないと診断される。
その後のサラの決断が凄い。長女の命を救うために、夫の精子と自分の卵子を使い、遺伝子操作でドナーとなる子を創り出す。それが次女のアナである。アナは、姉のドナーになるために生まれたきた子供だったのだ。まだ意志を示すことのできない赤ん坊の頃から、彼女は激痛を伴う骨髄採取などのために病院のベッドに身を横たえてきた。
アナの訴状を受け取ったサラは、「どういうことなの」と荒れる。「あなたは姉さんを助けたくないの」と責める母親に、「腎臓を片方なくしたら、スポーツもできなくなるって...」とアナはしょげる。兄と父親が間に入る。しかし、母親のサラはケイトを生かし続けることに、生涯をかけている。彼女はケイトへの愛のために、何も見えなくなっているのかもしれない。それが次女を深く傷つけることになったとしても...。
●11歳の少女が自分の躯を守るために両親を訴える
「私の中のあなた」(2009年)はベストセラー小説が原作だと聞いたが、僕は原作をまったく知らなかった。11歳の少女が自分の躯を守るために両親を訴える、という設定はショッキングだしセンセーショナルである。ドナーにするために、遺伝子操作で子供を作るという設定も少しあざとい。ベストセラーになる要素かもしれない。僕は、カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」を思い出した。
この映画には、悪役や憎まれ役は登場しない。母親のサラは、2歳になったケイトが白血病を宣告されたとき、絶対に死なせないと誓う。弁護士である自分のキャリアを棄てて顧みない。すべてを犠牲にして、娘の延命に尽くす。だが、そのために長男が淋しい思いをしているのに気付かない。次女が傷ついているのを想像しない。彼女の人生のすべては、長女を生かすことにあるからだ。
父親のブライアンは、誠実な男だ。病気の娘を守り、妻の暴走とも言える極端なやり方を許容し、長男の寂しさにも気付いている。それに、彼がひとりで経済的な負担を背負っている。そのことに対して不満は漏らさない。妻がドナーにするために、遺伝子操作で自分たちの子供を作ろうという提案にも従う。
しかし、アナが両親を訴えたことから、家族の中に違和感が漂い始める。一陣の冷たい風が吹き込んだかのようだ。それによって、何も言わなかった長男も何かを主張し始める。父親も妻を少し退いて見るようになる。だが、サラにはアナが移植を拒否することなど考えられない。「あの子は、まだ自分で判断などできない」と判事に訴える。
肝心のケイトは、何を思っているのだろうか。放射線治療による副作用なのだろう、ケイトには毛髪がない。ある日、病室で同じスキンヘッドの少年と知り合う。ふたりは親密になり、ケイトは初めての恋をする。だが、ある日、その少年が現れなくなった。それはどういうことなのか、賢明なケイトにはわかっている。彼女は2歳の時から、自分がいつ死ぬか、嫌でも自覚させられてきたのだ。
ケイトにとって、アナは愛する妹だ。仲のよい姉妹である。アナは、姉のために自分を犠牲にすることを厭わない。そんなアナが臓器提供を拒んで、両親を訴えた。そこには、一体、何があるのだろう。やがて、裁判が始まる。原告側の弁護士は、いかにアナが苦痛を強いられてきたかを訴える。母親は自らが弁護を展開し、自分の娘に証人喚問を行う。
そんな対立関係になって、この家族はどうなるのだろう。そう思うのだが、彼らは家庭に戻ると以前より親密になっているように見える。それぞれが自分の言葉で話し始めたのだ。今までは、すべてがケイトを中心にまわっていた家族だった。それによって一体感も生まれた。誰もが、ケイトのために犠牲になるのは当然だと思っていた。いや、犠牲などではない。家族の命を救うのは、当然だと思っていた。
やがて、母親のサラも気付く。家族それぞれが自分の言葉で語ることを望んだのが誰だったのかを...。人は愛する人のためには何でも差し出すだろうけれど、差し出された人間が愛する人から差し出されたものを当然だと受け取るとは限らない。愛しているが故に、自分の命を縮めても拒否しようとするかもしれない。人は愛する人間のために、何かを犠牲にすることがある。だが、アナにはアナの人生がある。限られてはいても、ケイトにケイトの人生があるように...。
●あの娘がいたから充実して生きてこられた...
20年ほど前のことだ。組合活動で知り合ったS出版のKさんの、14歳になるお嬢さんが亡くなったという報が組合の会議中に入ったことがある。その場にいた全員が、エッと驚いて腰を浮かした。そのとき、会議に出ていた同じS出版のNさんが「彼の一番上のお嬢さんは、ずっと白血病だったんです」とつぶやいた。
Kさんが...と、誰もが意外に思ったに違いない。Kさんはいつも大きな声で話をする、どちらかと言えば体育会系の雰囲気を持つ陽気な人だった。酒が好きで、組合の会議が終わると「飲みにいこうぜ」と率先して声をあげた。バンカラで有名な高校を出ていて、本人にもバンカラの魂が染み込んでいるようだった。どんな屈折も感じさせない人だった。そんなKさんは、14年間、白血病の長女を見守ってきたのだ。
僕は、Kさんのお嬢さんのお通夜にも告別式にもいけなかった。翌日から組合の討論集会が2泊3日で熱海であり、それに出なければならなかったからだ。僕は会議を仕切る立場だった。討論集会の2日目だったか、遅れて参加した人から、通夜に出てKさんと飲み明かした話を聞いた。酒好きのKさんは豪快に飲み、豪快に泣いたという。
僕を含めた4人が、討論集会の後にKさんの自宅に寄ることになった。14歳の娘を亡くしたKさんの自宅に、僕はひとりで線香をあげにいく勇気がなかったのかもしれない。Kさんの自宅で、僕は真新しい骨壺の前で線香をあげた。手を合わせた。セーラー服姿の少女が、写真の中で笑っていた。不意に涙がこぼれた。少女の笑顔がにじんだ。
訪ねた人数が多かったせいもあったのか、Kさんが酒好きだったのが原因か、奥さんが陽気な人だったからか、テーブルに料理が並べられ酒盛りになった。僕たちは、かなり酔った。Kさんは、ずっと亡くなった長女の話はしなかった。「お通夜、告別式と、あの娘のことばかり話していたからね...」と彼は言った。彼には長女の下にふたりの子がいて「ふたりとも、お姉ちゃんのことで我慢させてしまって...」とつぶやいた。
帰るときになって、酒を飲んでいない奥さんが送ってくれることになった。僕たちはワンボックスカーに乗り込み、駅まで奥さんの運転する車に乗った。途中、「大変だったですね」と僕が意味もない言葉を口にすると、奥さんが「あの娘がいたから、充実して生きてこられたんですよ」と答えた。その言い方には、何の気負いもなかった。ただ、口惜しさがうかがえた。
昔、森繁久弥が60過ぎの長男を亡くし、その葬儀の様子をワイドショーのニュースで見たことがある。90近い老優はテレビカメラの前で、長男の名を叫んで号泣した。60を過ぎた子どもが死んでも、親はあれほど嘆くのか、と僕は子に先立たれる親の悲しみを想った。共感した。感情が入った。
「私の中のあなた」にも印象的なシーンがある。放射線治療を受けているケイトが吐いてひどく苦しむ。それを見つめる母親サラの表情が切ない。娘が不憫で仕方がないのだ。何もしてやれない自分を彼女は責めている。血を吐くような思いをしているに違いない。そのシーンを見ながら、「死ぬな、親より先には絶対死ぬな」と、僕は誰に向かってかはわからないがつぶやいていた。
前述の「映画監督ジョン・カサヴェテス特集[アメリカに曳かれた影]」の巻末に、カサヴェテス一家の家族写真を載せたコーナーがある。その中に、見開きで家族全員が抱き合っている写真が掲載されている。幸せそうな5人家族だ。真ん中に少年時代のニック・カサヴェテスが写っている。
ニック・カサヴェテスは俳優としてキャリアを積み、やがて監督として「ジョンQ─最後の決断」(2002年)でアメリカの医療制度の欠陥を告発し、「きみに読む物語」(2004年)で母親ジーナ・ローランズを使い、見事に父母の物語を紡いだ。息子に演出されたジーナ・ローランズほど、幸せな母親はいない。
ジョン・カサヴェテスは、1989年に60を目前にして亡くなったから、息子が映画監督として成功する姿を見ることはできなかった。それでも、彼は幸せな父親だ。ニック・カサヴェテスはいつか...、父親が監督し母親が主演した「グロリア」を越える映画を作るだろう。「私の中のあなた」を見た僕の中に、そんな期待が生まれた。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>
会社の昔の先輩から僕の新刊に対する長文のメールをもらった。元編集者だから、いくつか誤植を指摘された。確かに、最近、僕の校正能力は極端に低下している。編集部をクビになって、もう7年になる。まだクォークを使っていた頃だものなあ。
●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880651834/dgcrcom-22/
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■ところのほんとのところ[35]
重慶にて
所幸則 Tokoro Yukinori
< https://bn.dgcr.com/archives/20100326140100.html
>
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[ところ]は今、重慶でこのテキストを書いています。
3日前までは上海にいました。今回は自分の作品のためではなく、友人のキュレーター深瀬鋭一郎くんに頼まれ、2010年上海万博の日本人作家の彫刻設置風景を撮るために、3月16日に現地入りしました。当初の予定では、16日〜18日に設置すると聞いていたのですが、中国側の予定が二転三転したため、飛行機の手配が整わず、[ところ]だけ一日早い現地入りとなったのです。
夕方着いて、次の日の夕方までまるっきり空いてしまった[ところ]は、11月に上海で行う[ところ]自身の個展への支援をお願いするため、上海sonyの人に会いに行きました。1月後半にもお会いして話したのですが、こういうことは何度か顔を見せないと誠意も本気度も伝わらないものだと、最近やっとわかったからです。
今回は、ギャラリー21が20部限定で制作した「PARADOX」という作品集(オリジナルプリントが24枚入っている)を持参しました。やはり、印刷物よりオリジナルプリントの方が写真の魅力が伝わることは間違いありません。そこから話はどんどん進んで行くことになったのです。行ってよかったと思う[ところ]でした。
さて、話をもどします。重慶と言ってもピンと来ない人が多いと思います。実際、[ところ]もそうだったし、まわりに聞いてみても知らない人が多かったということは、日本人にとってはあまりなじみのない所なのでしょう。
「三国志」で言うと蜀にあたります。劉備玄徳のエリアで長江沿岸にあります。上海からずーっと北が北京ですが、上海からずーーーっと西の方、上海から見ると北京より距離的には遠くなります。もと四川省だったので、料理は全般的に辛く、火鍋がもっとも有名な重慶の料理と言ってもいいでしょう。とにかく夏は中国一暑く、冬は寒いそうです。
上海では震えながら撮影をしていたのに、飛行機で重慶についたら30度ありました。3月なのに、どういうこと? 空港についてすぐトイレに入って着替えました。空港から40分程度で街のど真ん中に着きましたが、あたり一帯高層ビルだらけで、建築中のものもゴロゴロあります。北京、上海ときて、重慶も高層ビル群の街に生まれ変わろうとしています。
そこら中で古い建物が壊されていて、[ところ]からすると実にもったいないのですが、住んでる側からすればきれいな方がいいでしょうね。もっとも、そのために追い出される人はたまらないでしょうが。
さて、3日前まで上海万博会場の中で撮影して、上海の繁華街に泊まっていた[ところ]としては、ちょっととまどってしまいました。最初、上海との差別化が見えてこなかったからです。そして、長江と嘉陵江の二つの大河が合流するポイントが、重慶の街からすぐのところにあるのですが、その河も橋もスケールがでかすぎて圧倒されました。
何もかもがでか過ぎます。10分ぐらい歩いても全然景色が変わりません。都市の風景写真家として、正直ちょっと参りました。この壮大な景色も街の一部だとしたら(いや、じっさい一部なんですが)、橋のこっちもむこうも高層ビルだし......、なにか考えないと。1日目、2日目はぱっとしない感じでしたけれど、3日目になるとようやく上海との違いも見えて来たし、気分ものって来た[ところ]です。
しかし、着いた日は30度の暑さだったのに、次の日から雨が続き10〜15度、少し調子が狂います。神様が休めと言ってるんでしょうか。確かに上海では朝から晩まで団体行動で、楽しいけれどハードな毎日でした(上海万博公園彫刻プロジェクトの彫刻設置を見届けながら撮影していたので、彫刻家・藤井浩一朗さんや設置するスタッフ達と行動をともにしていました)。
この作品「父子情」は巨大なアクリルの作品で、すごく見応えがあります。上海万博に行くのならぜひ見て下さい。国内でも関連の展示があります。この展示には[ところ]がOne second の手法で、設置している光景を動感溢れる写真に仕上げたものが展示されます。ぜひご覧下さい。
●藤井浩一朗「上海万博公園彫刻プラン」展
会期:2010年4月17日(土)〜24日(土)11:00〜19:00 最終日17:00 月休
会場:全労済ホール/スペース・ゼロ ギャラリー(東京都渋谷区代々木2-12-10 全労済会館B1 TEL.03-3375-8741)
< http://www.spacezero.co.jp/
>
2010年上海万博公園に設置される藤井浩一朗作品「父子情」の制作に実際に使用した型、マケット、メーキング写真、実施予定の関連イベント等を紹介します。初日(4月17日)15:00より、トークイベント&オープニングパーティ。キュレーター・深瀬鋭一郎×出展作家・藤井浩一朗ほか。
それが急に[ところ]一人になって、しかもこう曇りや雨が続くと気が滅入るのは仕方ありません。東京を離れてもう10日を過ぎました。来週にならないと帰れないし、帰ったらすぐギャラリー21で3月30日から始まる個展の会場設営です。設営は楽しみです。なんといっても[ところ]が生まれ変わってから最大の個展ですから。
●所幸則写真展「PARADOX」
< http://www.gallery21-tokyo.com/jp/exhibitions/2010/yukinoritokoro/
>
< http://www.gallery21-tokyo.com/jp/artists/yukinoritokoro/
>
会期:3月30日(火)〜5月30日(日)
会場:GALLERY 21(東京都港区)
◇所幸則写真展「PARADOX」オープニングレセプション特別一般
日時:4月7日(水)50名限定 参加者募集
< http://www.gallery21-tokyo.com/jp/topics/topics_march2010/
>
今回、オープニングパーティは4月7日にしました。3月30日は決算日前だし、落ち着いてからがいいだろうという意味もあります。本当は金曜か土曜にしたかったのですが、ホテル内のギャラリーということでこの日に落ち着きました。
普段は関係者中心で、招待客だけなのでしょうが、今回はキュレーターの太田菜穂子さんと[ところ]のギャラリートークもありますから、招待客以外にも特別一般参加の方を50人までOKということにしました。パーティに参加したいという方は申し込んで下さい。限定版作品集「PARADOX」もオープニングパーティでは見ることができます。
......と書いたあたりで胃がズキズキしてきました。あー、ストレス性の胃炎。だいたい海外に出て10日も経つとこうなります。知らない場所に何日いても平気な、タフな神経になりたい[ところ]です。
そして、このテキストが配信されるころは、ちょうど重慶から上海に移動しています。上海から、またニコニコ動画を配信します。海外なのでまた一人です。いよいよ始まる個展について語ろうと思っています。
●「写真家の異常な愛情」所幸則 1sec(ONE SECOND)放送土曜日21時
< http://com.nicovideo.jp/community/co60744
>
【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト < http://tokoroyukinori.com/
>
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■編集後記(3/26)
・東京ガスの「ガス・パッ・チョ!シリーズ」のCMは今までおもしろくて好きだったが、ライフバルになってからいやな感じになってきた。ライフバル社員として点検に来た妻夫木くんが、ちょっといじわるなおばあさんにもめげず、一生懸命作業を行なうという設定らしいが、そのやりとりがなんとも不愉快。「ライフにバリューでライフバル」「英語はきらい」「気配るがんばるライフバル」「だじゃれはもっときらい」「すいません」「あなたガス・パッ・チョ!の人に似ているね」「妻夫木ですね」「あの人きらいでね」もう話の接ぎ穂を失った妻夫木が「さいきんCMに信長出てないですね」と言うと。ここで信長が出てなんとか話は収まるのだが、若者をからかって喜ぶといったユーモアとも見えないおばあさんの、リアルな拒否的対応がじつに居心地悪い。その前編の、自転車発電篇というのも明るいユーモアとは思えなかったな。次は、エスキモー「PARM」の寺尾聰。映画の撮影現場、監督からカットの声がかかり緊張を解いた寺尾に差し出されるチョコレートバーアイス。「アイスか、これすきなんだよなあ」と無精髭の口でかぶりつくが、その数カットの口元アップがゾッとするほど汚い。執拗に見せる。よくこんな編集したよなと思うほど、下品でいやらしい。もう長いこと流れているような気がするが、関係者でこれを汚いと思う人はいないのか。寺尾聰のもう1本、Thanks Days Platinumっての。ずっと一緒だ、プロポーズ・アゲインとか。これは寺尾は悪くない。いい味出してる。だが、妻と一緒のとき流れると、これほど居心地悪いCMはない。(柴田)
< http://www.tokyo-gas.co.jp/channel/200ch/index.html
> ライフバル
< http://www.morinagamilk.co.jp/learn_enjoy/cm/#/PARM/tv_cm
> PARM
< http://www.thanksdays.com/gallery/
> Thanks Days Platinum
↓ナニコレ珍どころではない 長崎のつっかえ棒(Daily Portal Z)
< http://portal.nifty.com/2010/03/26/b/index.htm
>
↓味の素 NEO TAMAGOKAKE GOHAN ナイスな音楽と感動的ばかばかしさ
< http://www.ajinomoto.co.jp/aji/egg/generator/
>
・双子が三組。玉子のことだ。二つ玉子を十個もらった。一つは普通の玉子だったが、他は全部双子。珍しくて感動するどころではない。どういうこと? そういう鶏がいるわけ? 聞くと、二つ玉子は規格外としてスーパーなどには出荷できないのだそうだ。確かに大きくて普通のパックからはみ出してた(ので上からゴムでとめてあった)。そう珍しいことではないそうなのだが、消費者の手元に届かないのであれば、珍しくなってしまう。検索してみたら、こういう玉子は養鶏場で直接買うしかないみたい。規格外だから安いんだって。目玉焼きを作る時や、溶き卵を作る時には便利だから高くしてもいいぐらいなのに。披露宴に使うとかさ。そうだ、来客がテーブルで割ると、カップル温泉玉子が出てくるとかってどう? 割るって良くないか、いやいや、雨降って地固まるってことで、うーん、いつ雨降ったんだよ? とか突っ込まれるかも。じゃあ目玉焼きにして「これは珍しいカップル玉子から作られています〜」とか何とか? いやしかし、割ると出てくるサプライズがいいんだけどなぁ。(hammer.mule)
< http://twitpic.com/1akdup
>
双子が三組
< http://www.ucoop.or.jp/syouhin_seisaku/q_a/co031208_01.htm
>
若さ故の
< http://kotonoha.cc/no/151133
>
二日連続で黄身が二つの玉子に当たった
< http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=109070010
>
ケーキ屋さんに
< http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa2104033.html
>
「三黄卵」もあり、これらを「複黄卵」と総称
< http://www.mori.or.tv/sub8-21.htm
>
謎に迫る
■映画と夜と音楽と...[457]
子に先立たれる親の深い悲しみ
十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20100326140200.html
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〈殺人者たち/アメリカの影/グロリア/私の中のあなた/ジョンQ─最後の
決断/きみに読む物語〉
●スイッチ特別号の「映画監督ジョン・カサヴェテス特集」
スイッチ・コーポレーションが出していた「スイッチ」という雑誌が好きで、よく買っていた。ロバート・フランクやクリスチャン・サルガドといった写真家の特集もあったし、小説家や映画監督、ミュージシャンの特集もあった。写真家の操上和美さんが大江健三郎さんを、愛媛の森の中で撮影したときの表紙もよく憶えている。その頃の編集長は、新井敏記さんだった。
手狭になるので、雑誌類はある程度たまると整理している。だから、定期誌の「スイッチ」はほとんど残っていない。ただ、時々発行されたワンテーマの別冊は、今も保存してある。その一冊が特別号「映画監督ジョン・カサヴェテス特集[アメリカに曳かれた影]」だ。発行はもう20年前になったが、今も僕の映画関係本の書棚に並んでいる。
ジョン・カサヴェテスという俳優を初めて見たのは、ドン・シーゲル監督作品「殺人者たち」(1964年)だった。黒ずくめのふたりの男(リー・マーヴィンと相棒)が、田舎町の盲学校に押し入る。そこで教師をしていた男は、男たちがやってくるのを受付からの電話で知らされても逃げず、黙ってふたりの殺し屋に射殺される。その教師をジョン・カサヴェテスが演じていた。
原作は、ヘミングウェイの有名な短編「キラーズ」である。最初に「殺人者」(1946年)として映画化されたとき、黙って殺される男を演じたのはバート・ランカスターだった。そのイメージがあったからバート・ランカスターの雰囲気に似た、ジョン・カサヴェテスという俳優を使ったのかと僕は思った。彼は、バート・ランカスターのように男臭い俳優だった。
「殺人者たち」は、その後、殺し屋たちが男がなぜ逃げなかったか不審に思い、真相を探る話だから、回想シーンでのジョン・カサヴェテスの出番はかなり多い。しかし、そんなに有名な俳優ではなかったから、映画好きでも知っている人は少なく、「ローズマリーの赤ちゃん」(1968年)がヒットして、ようやく「ほら、ミア・ファーローの夫役の俳優」と言えば通じるようになった。
そのジョン・カサヴェテスがニューヨーク派のインディペンデント系の映画作家だと知ったのは、大学に入って上京し、アートシアターに通い始めた頃だった。「アメリカの影」(1959年)という初監督作品が高い評価を得ているのだという。僕は「アメリカの影」を見たが、同じ年にゴダールが発表した「勝手にしやがれ」と共通するものを感じた。
肌が白く黒人には見えない娘が白人の男と恋仲になり、ある日、恋人を自宅に連れ帰る。白人の男は紹介された家族が黒人なので驚き戸惑い、しかし、黒人だとわかったからと言って先ほどまで「愛しているよ」と言っていた娘に心変わりするわけにもいかない、といった微妙な心理が伝わってくる。人種問題をこういう風に描く方法もあるのか、と作り手の知性に感心した。
その後、ジョン・カサヴェテスは愛妻であり、同志のようなジーナ・ローランズをヒロインにした作品を何本も撮る。最大のヒット作は「グロリア」(1980年)だ。犯罪組織の会計係の一家が皆殺しになるが、その直前に末の男の子を預かった中年女のグロリアが、嫌々ながらも男の子を守って逃げるサスペンス劇だった。ジョン・カサヴェテスにしては、珍しいアクションものだ。それは、僕にとって忘れられない映画になった。
●ジョンとジーナのアメリカ映画界における最高の遺伝子
その映画を見たとき、ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズというアメリカ映画界における最高の遺伝子は、間違いなく息子に受け継がれたのだと、僕は感慨に耽った。その映画を見ている間、何度も涙が頬を伝った。確かに感動的な話ではあった。しかし、劇中の人物のひとりひとりに思い入れができるから、誰が悪くて誰が正しいという単純な物語ではない。誰もが愛する人のために尽くそうとし、誰かを傷つけている。そんな映画だった。
11歳の少女が、弁護士事務所を訪れるところから物語が始まる。彼女は両親を訴えたいという。自分は生まれたとき(最初は臍帯血の採取)から白血病の姉のために、ドナーとして様々なものを提供してきた。もうすぐ腎臓を片方提供することになっている。でも、わたしはイヤ...と、その賢明そうな少女は太った弁護士(アレック・ボールドウィン)に訴える。
少女アナを演じているのは、大きくなったけれど、あの「リトル・ミス・サンシャイン」(2006年)のコンテストマニアの太ったメガネの少女だった。老優アラン・アーキンにアカデミー賞をもたらせた「リトル・ミス・サンシャイン」は地味だけど、よい映画だった(「映画がなければ...」第三巻259頁「老人たちの終わらない悔い」参照)。
弁護士はアナの治療歴を調べると、ドナーとしての過酷な過去が判明する。彼は仮処分申請を判事に提出する。判事を演じているのは、僕の好きなスリムで背の高いシャクレ顔の女優、ジョーン・キューザックである。彼女も、事故で娘を亡くした経験をしている。厳格な判事ではあるが、その心の傷を垣間見せるシーンがある。子どもに先立たれた親の悲しみが漂う。
アナの母親サラ(キャメロン・ディアス)は長女ケイトを生み、彼女が白血病と判明するまで弁護士をやっていたから判事とは顔なじみである。判事はサラが長年、長女の命を守ることに文字通り命をかけてきたことを知っている。サラは幼いケイトが白血病だとわかったとき、すぐに自分がドナーになると言ったのだが、両親には適合性がないと診断される。
その後のサラの決断が凄い。長女の命を救うために、夫の精子と自分の卵子を使い、遺伝子操作でドナーとなる子を創り出す。それが次女のアナである。アナは、姉のドナーになるために生まれたきた子供だったのだ。まだ意志を示すことのできない赤ん坊の頃から、彼女は激痛を伴う骨髄採取などのために病院のベッドに身を横たえてきた。
アナの訴状を受け取ったサラは、「どういうことなの」と荒れる。「あなたは姉さんを助けたくないの」と責める母親に、「腎臓を片方なくしたら、スポーツもできなくなるって...」とアナはしょげる。兄と父親が間に入る。しかし、母親のサラはケイトを生かし続けることに、生涯をかけている。彼女はケイトへの愛のために、何も見えなくなっているのかもしれない。それが次女を深く傷つけることになったとしても...。
●11歳の少女が自分の躯を守るために両親を訴える
「私の中のあなた」(2009年)はベストセラー小説が原作だと聞いたが、僕は原作をまったく知らなかった。11歳の少女が自分の躯を守るために両親を訴える、という設定はショッキングだしセンセーショナルである。ドナーにするために、遺伝子操作で子供を作るという設定も少しあざとい。ベストセラーになる要素かもしれない。僕は、カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」を思い出した。
この映画には、悪役や憎まれ役は登場しない。母親のサラは、2歳になったケイトが白血病を宣告されたとき、絶対に死なせないと誓う。弁護士である自分のキャリアを棄てて顧みない。すべてを犠牲にして、娘の延命に尽くす。だが、そのために長男が淋しい思いをしているのに気付かない。次女が傷ついているのを想像しない。彼女の人生のすべては、長女を生かすことにあるからだ。
父親のブライアンは、誠実な男だ。病気の娘を守り、妻の暴走とも言える極端なやり方を許容し、長男の寂しさにも気付いている。それに、彼がひとりで経済的な負担を背負っている。そのことに対して不満は漏らさない。妻がドナーにするために、遺伝子操作で自分たちの子供を作ろうという提案にも従う。
しかし、アナが両親を訴えたことから、家族の中に違和感が漂い始める。一陣の冷たい風が吹き込んだかのようだ。それによって、何も言わなかった長男も何かを主張し始める。父親も妻を少し退いて見るようになる。だが、サラにはアナが移植を拒否することなど考えられない。「あの子は、まだ自分で判断などできない」と判事に訴える。
肝心のケイトは、何を思っているのだろうか。放射線治療による副作用なのだろう、ケイトには毛髪がない。ある日、病室で同じスキンヘッドの少年と知り合う。ふたりは親密になり、ケイトは初めての恋をする。だが、ある日、その少年が現れなくなった。それはどういうことなのか、賢明なケイトにはわかっている。彼女は2歳の時から、自分がいつ死ぬか、嫌でも自覚させられてきたのだ。
ケイトにとって、アナは愛する妹だ。仲のよい姉妹である。アナは、姉のために自分を犠牲にすることを厭わない。そんなアナが臓器提供を拒んで、両親を訴えた。そこには、一体、何があるのだろう。やがて、裁判が始まる。原告側の弁護士は、いかにアナが苦痛を強いられてきたかを訴える。母親は自らが弁護を展開し、自分の娘に証人喚問を行う。
そんな対立関係になって、この家族はどうなるのだろう。そう思うのだが、彼らは家庭に戻ると以前より親密になっているように見える。それぞれが自分の言葉で話し始めたのだ。今までは、すべてがケイトを中心にまわっていた家族だった。それによって一体感も生まれた。誰もが、ケイトのために犠牲になるのは当然だと思っていた。いや、犠牲などではない。家族の命を救うのは、当然だと思っていた。
やがて、母親のサラも気付く。家族それぞれが自分の言葉で語ることを望んだのが誰だったのかを...。人は愛する人のためには何でも差し出すだろうけれど、差し出された人間が愛する人から差し出されたものを当然だと受け取るとは限らない。愛しているが故に、自分の命を縮めても拒否しようとするかもしれない。人は愛する人間のために、何かを犠牲にすることがある。だが、アナにはアナの人生がある。限られてはいても、ケイトにケイトの人生があるように...。
●あの娘がいたから充実して生きてこられた...
20年ほど前のことだ。組合活動で知り合ったS出版のKさんの、14歳になるお嬢さんが亡くなったという報が組合の会議中に入ったことがある。その場にいた全員が、エッと驚いて腰を浮かした。そのとき、会議に出ていた同じS出版のNさんが「彼の一番上のお嬢さんは、ずっと白血病だったんです」とつぶやいた。
Kさんが...と、誰もが意外に思ったに違いない。Kさんはいつも大きな声で話をする、どちらかと言えば体育会系の雰囲気を持つ陽気な人だった。酒が好きで、組合の会議が終わると「飲みにいこうぜ」と率先して声をあげた。バンカラで有名な高校を出ていて、本人にもバンカラの魂が染み込んでいるようだった。どんな屈折も感じさせない人だった。そんなKさんは、14年間、白血病の長女を見守ってきたのだ。
僕は、Kさんのお嬢さんのお通夜にも告別式にもいけなかった。翌日から組合の討論集会が2泊3日で熱海であり、それに出なければならなかったからだ。僕は会議を仕切る立場だった。討論集会の2日目だったか、遅れて参加した人から、通夜に出てKさんと飲み明かした話を聞いた。酒好きのKさんは豪快に飲み、豪快に泣いたという。
僕を含めた4人が、討論集会の後にKさんの自宅に寄ることになった。14歳の娘を亡くしたKさんの自宅に、僕はひとりで線香をあげにいく勇気がなかったのかもしれない。Kさんの自宅で、僕は真新しい骨壺の前で線香をあげた。手を合わせた。セーラー服姿の少女が、写真の中で笑っていた。不意に涙がこぼれた。少女の笑顔がにじんだ。
訪ねた人数が多かったせいもあったのか、Kさんが酒好きだったのが原因か、奥さんが陽気な人だったからか、テーブルに料理が並べられ酒盛りになった。僕たちは、かなり酔った。Kさんは、ずっと亡くなった長女の話はしなかった。「お通夜、告別式と、あの娘のことばかり話していたからね...」と彼は言った。彼には長女の下にふたりの子がいて「ふたりとも、お姉ちゃんのことで我慢させてしまって...」とつぶやいた。
帰るときになって、酒を飲んでいない奥さんが送ってくれることになった。僕たちはワンボックスカーに乗り込み、駅まで奥さんの運転する車に乗った。途中、「大変だったですね」と僕が意味もない言葉を口にすると、奥さんが「あの娘がいたから、充実して生きてこられたんですよ」と答えた。その言い方には、何の気負いもなかった。ただ、口惜しさがうかがえた。
昔、森繁久弥が60過ぎの長男を亡くし、その葬儀の様子をワイドショーのニュースで見たことがある。90近い老優はテレビカメラの前で、長男の名を叫んで号泣した。60を過ぎた子どもが死んでも、親はあれほど嘆くのか、と僕は子に先立たれる親の悲しみを想った。共感した。感情が入った。
「私の中のあなた」にも印象的なシーンがある。放射線治療を受けているケイトが吐いてひどく苦しむ。それを見つめる母親サラの表情が切ない。娘が不憫で仕方がないのだ。何もしてやれない自分を彼女は責めている。血を吐くような思いをしているに違いない。そのシーンを見ながら、「死ぬな、親より先には絶対死ぬな」と、僕は誰に向かってかはわからないがつぶやいていた。
前述の「映画監督ジョン・カサヴェテス特集[アメリカに曳かれた影]」の巻末に、カサヴェテス一家の家族写真を載せたコーナーがある。その中に、見開きで家族全員が抱き合っている写真が掲載されている。幸せそうな5人家族だ。真ん中に少年時代のニック・カサヴェテスが写っている。
ニック・カサヴェテスは俳優としてキャリアを積み、やがて監督として「ジョンQ─最後の決断」(2002年)でアメリカの医療制度の欠陥を告発し、「きみに読む物語」(2004年)で母親ジーナ・ローランズを使い、見事に父母の物語を紡いだ。息子に演出されたジーナ・ローランズほど、幸せな母親はいない。
ジョン・カサヴェテスは、1989年に60を目前にして亡くなったから、息子が映画監督として成功する姿を見ることはできなかった。それでも、彼は幸せな父親だ。ニック・カサヴェテスはいつか...、父親が監督し母親が主演した「グロリア」を越える映画を作るだろう。「私の中のあなた」を見た僕の中に、そんな期待が生まれた。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>
会社の昔の先輩から僕の新刊に対する長文のメールをもらった。元編集者だから、いくつか誤植を指摘された。確かに、最近、僕の校正能力は極端に低下している。編集部をクビになって、もう7年になる。まだクォークを使っていた頃だものなあ。
●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880651834/dgcrcom-22/
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■ところのほんとのところ[35]
重慶にて
所幸則 Tokoro Yukinori
< https://bn.dgcr.com/archives/20100326140100.html
>
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[ところ]は今、重慶でこのテキストを書いています。
3日前までは上海にいました。今回は自分の作品のためではなく、友人のキュレーター深瀬鋭一郎くんに頼まれ、2010年上海万博の日本人作家の彫刻設置風景を撮るために、3月16日に現地入りしました。当初の予定では、16日〜18日に設置すると聞いていたのですが、中国側の予定が二転三転したため、飛行機の手配が整わず、[ところ]だけ一日早い現地入りとなったのです。
夕方着いて、次の日の夕方までまるっきり空いてしまった[ところ]は、11月に上海で行う[ところ]自身の個展への支援をお願いするため、上海sonyの人に会いに行きました。1月後半にもお会いして話したのですが、こういうことは何度か顔を見せないと誠意も本気度も伝わらないものだと、最近やっとわかったからです。
今回は、ギャラリー21が20部限定で制作した「PARADOX」という作品集(オリジナルプリントが24枚入っている)を持参しました。やはり、印刷物よりオリジナルプリントの方が写真の魅力が伝わることは間違いありません。そこから話はどんどん進んで行くことになったのです。行ってよかったと思う[ところ]でした。
さて、話をもどします。重慶と言ってもピンと来ない人が多いと思います。実際、[ところ]もそうだったし、まわりに聞いてみても知らない人が多かったということは、日本人にとってはあまりなじみのない所なのでしょう。
「三国志」で言うと蜀にあたります。劉備玄徳のエリアで長江沿岸にあります。上海からずーっと北が北京ですが、上海からずーーーっと西の方、上海から見ると北京より距離的には遠くなります。もと四川省だったので、料理は全般的に辛く、火鍋がもっとも有名な重慶の料理と言ってもいいでしょう。とにかく夏は中国一暑く、冬は寒いそうです。
上海では震えながら撮影をしていたのに、飛行機で重慶についたら30度ありました。3月なのに、どういうこと? 空港についてすぐトイレに入って着替えました。空港から40分程度で街のど真ん中に着きましたが、あたり一帯高層ビルだらけで、建築中のものもゴロゴロあります。北京、上海ときて、重慶も高層ビル群の街に生まれ変わろうとしています。
そこら中で古い建物が壊されていて、[ところ]からすると実にもったいないのですが、住んでる側からすればきれいな方がいいでしょうね。もっとも、そのために追い出される人はたまらないでしょうが。
さて、3日前まで上海万博会場の中で撮影して、上海の繁華街に泊まっていた[ところ]としては、ちょっととまどってしまいました。最初、上海との差別化が見えてこなかったからです。そして、長江と嘉陵江の二つの大河が合流するポイントが、重慶の街からすぐのところにあるのですが、その河も橋もスケールがでかすぎて圧倒されました。
何もかもがでか過ぎます。10分ぐらい歩いても全然景色が変わりません。都市の風景写真家として、正直ちょっと参りました。この壮大な景色も街の一部だとしたら(いや、じっさい一部なんですが)、橋のこっちもむこうも高層ビルだし......、なにか考えないと。1日目、2日目はぱっとしない感じでしたけれど、3日目になるとようやく上海との違いも見えて来たし、気分ものって来た[ところ]です。
しかし、着いた日は30度の暑さだったのに、次の日から雨が続き10〜15度、少し調子が狂います。神様が休めと言ってるんでしょうか。確かに上海では朝から晩まで団体行動で、楽しいけれどハードな毎日でした(上海万博公園彫刻プロジェクトの彫刻設置を見届けながら撮影していたので、彫刻家・藤井浩一朗さんや設置するスタッフ達と行動をともにしていました)。
この作品「父子情」は巨大なアクリルの作品で、すごく見応えがあります。上海万博に行くのならぜひ見て下さい。国内でも関連の展示があります。この展示には[ところ]がOne second の手法で、設置している光景を動感溢れる写真に仕上げたものが展示されます。ぜひご覧下さい。
●藤井浩一朗「上海万博公園彫刻プラン」展
会期:2010年4月17日(土)〜24日(土)11:00〜19:00 最終日17:00 月休
会場:全労済ホール/スペース・ゼロ ギャラリー(東京都渋谷区代々木2-12-10 全労済会館B1 TEL.03-3375-8741)
< http://www.spacezero.co.jp/
>
2010年上海万博公園に設置される藤井浩一朗作品「父子情」の制作に実際に使用した型、マケット、メーキング写真、実施予定の関連イベント等を紹介します。初日(4月17日)15:00より、トークイベント&オープニングパーティ。キュレーター・深瀬鋭一郎×出展作家・藤井浩一朗ほか。
それが急に[ところ]一人になって、しかもこう曇りや雨が続くと気が滅入るのは仕方ありません。東京を離れてもう10日を過ぎました。来週にならないと帰れないし、帰ったらすぐギャラリー21で3月30日から始まる個展の会場設営です。設営は楽しみです。なんといっても[ところ]が生まれ変わってから最大の個展ですから。
●所幸則写真展「PARADOX」
< http://www.gallery21-tokyo.com/jp/exhibitions/2010/yukinoritokoro/
>
< http://www.gallery21-tokyo.com/jp/artists/yukinoritokoro/
>
会期:3月30日(火)〜5月30日(日)
会場:GALLERY 21(東京都港区)
◇所幸則写真展「PARADOX」オープニングレセプション特別一般
日時:4月7日(水)50名限定 参加者募集
< http://www.gallery21-tokyo.com/jp/topics/topics_march2010/
>
今回、オープニングパーティは4月7日にしました。3月30日は決算日前だし、落ち着いてからがいいだろうという意味もあります。本当は金曜か土曜にしたかったのですが、ホテル内のギャラリーということでこの日に落ち着きました。
普段は関係者中心で、招待客だけなのでしょうが、今回はキュレーターの太田菜穂子さんと[ところ]のギャラリートークもありますから、招待客以外にも特別一般参加の方を50人までOKということにしました。パーティに参加したいという方は申し込んで下さい。限定版作品集「PARADOX」もオープニングパーティでは見ることができます。
......と書いたあたりで胃がズキズキしてきました。あー、ストレス性の胃炎。だいたい海外に出て10日も経つとこうなります。知らない場所に何日いても平気な、タフな神経になりたい[ところ]です。
そして、このテキストが配信されるころは、ちょうど重慶から上海に移動しています。上海から、またニコニコ動画を配信します。海外なのでまた一人です。いよいよ始まる個展について語ろうと思っています。
●「写真家の異常な愛情」所幸則 1sec(ONE SECOND)放送土曜日21時
< http://com.nicovideo.jp/community/co60744
>
【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト < http://tokoroyukinori.com/
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■編集後記(3/26)
・東京ガスの「ガス・パッ・チョ!シリーズ」のCMは今までおもしろくて好きだったが、ライフバルになってからいやな感じになってきた。ライフバル社員として点検に来た妻夫木くんが、ちょっといじわるなおばあさんにもめげず、一生懸命作業を行なうという設定らしいが、そのやりとりがなんとも不愉快。「ライフにバリューでライフバル」「英語はきらい」「気配るがんばるライフバル」「だじゃれはもっときらい」「すいません」「あなたガス・パッ・チョ!の人に似ているね」「妻夫木ですね」「あの人きらいでね」もう話の接ぎ穂を失った妻夫木が「さいきんCMに信長出てないですね」と言うと。ここで信長が出てなんとか話は収まるのだが、若者をからかって喜ぶといったユーモアとも見えないおばあさんの、リアルな拒否的対応がじつに居心地悪い。その前編の、自転車発電篇というのも明るいユーモアとは思えなかったな。次は、エスキモー「PARM」の寺尾聰。映画の撮影現場、監督からカットの声がかかり緊張を解いた寺尾に差し出されるチョコレートバーアイス。「アイスか、これすきなんだよなあ」と無精髭の口でかぶりつくが、その数カットの口元アップがゾッとするほど汚い。執拗に見せる。よくこんな編集したよなと思うほど、下品でいやらしい。もう長いこと流れているような気がするが、関係者でこれを汚いと思う人はいないのか。寺尾聰のもう1本、Thanks Days Platinumっての。ずっと一緒だ、プロポーズ・アゲインとか。これは寺尾は悪くない。いい味出してる。だが、妻と一緒のとき流れると、これほど居心地悪いCMはない。(柴田)
< http://www.tokyo-gas.co.jp/channel/200ch/index.html
> ライフバル
< http://www.morinagamilk.co.jp/learn_enjoy/cm/#/PARM/tv_cm
> PARM
< http://www.thanksdays.com/gallery/
> Thanks Days Platinum
↓ナニコレ珍どころではない 長崎のつっかえ棒(Daily Portal Z)
< http://portal.nifty.com/2010/03/26/b/index.htm
>
↓味の素 NEO TAMAGOKAKE GOHAN ナイスな音楽と感動的ばかばかしさ
< http://www.ajinomoto.co.jp/aji/egg/generator/
>
・双子が三組。玉子のことだ。二つ玉子を十個もらった。一つは普通の玉子だったが、他は全部双子。珍しくて感動するどころではない。どういうこと? そういう鶏がいるわけ? 聞くと、二つ玉子は規格外としてスーパーなどには出荷できないのだそうだ。確かに大きくて普通のパックからはみ出してた(ので上からゴムでとめてあった)。そう珍しいことではないそうなのだが、消費者の手元に届かないのであれば、珍しくなってしまう。検索してみたら、こういう玉子は養鶏場で直接買うしかないみたい。規格外だから安いんだって。目玉焼きを作る時や、溶き卵を作る時には便利だから高くしてもいいぐらいなのに。披露宴に使うとかさ。そうだ、来客がテーブルで割ると、カップル温泉玉子が出てくるとかってどう? 割るって良くないか、いやいや、雨降って地固まるってことで、うーん、いつ雨降ったんだよ? とか突っ込まれるかも。じゃあ目玉焼きにして「これは珍しいカップル玉子から作られています〜」とか何とか? いやしかし、割ると出てくるサプライズがいいんだけどなぁ。(hammer.mule)
< http://twitpic.com/1akdup
>
双子が三組
< http://www.ucoop.or.jp/syouhin_seisaku/q_a/co031208_01.htm
>
若さ故の
< http://kotonoha.cc/no/151133
>
二日連続で黄身が二つの玉子に当たった
< http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=109070010
>
ケーキ屋さんに
< http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa2104033.html
>
「三黄卵」もあり、これらを「複黄卵」と総称
< http://www.mori.or.tv/sub8-21.htm
>
謎に迫る